2018.12
朱立熙老師在台韓人權研討會後,說: 週四在閉幕之前,韓國貴賓看到「行動書法大師」陳世憲在舞台上的揮毫,無不嘆為觀止,真是太精彩了。世憲是我很敬佩的書法家,當晚終於能夠把酒暢談,希望我這台韓的「人權牽猴仔」,能把他帶去光州展覽。 (高雄 台韓人權國際研討會)
2018.3.4 麻煩黃俊彬兄開車到鹿谷小半天竹林中創作: 節、 虛心 等作品。
2018.2.4 在美濃廣進勝紙傘工坊,在黃色紙傘上寫: 土中生白玉 來自好土地 一詞!
2017.3.4 關於旅行 我提出三境界論:1.旅行2.文化旅行3.旅行蹲點。
台南 晶英酒店寫15公尺高的春聯
台南 晶英酒店寫8.8公尺高的春聯
2016.12.18 吳國豪教授在香港藝術博覽會發表台灣的書法現況,一章節談到陳世憲。
2015.3.4承蒙明道大學國學研究所演講。
2016年旅法陳芳惠教授前年在中研院發表的論文題目是---
《陳世憲:台灣書法與台灣地誌書寫》
寫 "傳揚論壇"
為台灣教會公報社寫"活路"
去屏東為五個社區教 老人書寫自己或土地 有 新埤 小琉球...。
2013.3.5幫李敏忠詩人寫詩集標題"徵人啟事"四字。
2011 李思賢教授-2011《漢字藝術節》─兩岸當代書法學術研討會論文集176(Graphic)
2004. 寫 中都社區 的雜誌標題,總編輯是許玲齡姊。
朱立熙老師在台韓人權研討會後,說: 週四在閉幕之前,韓國貴賓看到「行動書法大師」陳世憲在舞台上的揮毫,無不嘆為觀止,真是太精彩了。世憲是我很敬佩的書法家,當晚終於能夠把酒暢談,希望我這台韓的「人權牽猴仔」,能把他帶去光州展覽。 (高雄 台韓人權國際研討會)
2018.3.4 麻煩黃俊彬兄開車到鹿谷小半天竹林中創作: 節、 虛心 等作品。
2018.2.4 在美濃廣進勝紙傘工坊,在黃色紙傘上寫: 土中生白玉 來自好土地 一詞!
2017.3.4 關於旅行 我提出三境界論:1.旅行2.文化旅行3.旅行蹲點。
台南 晶英酒店寫15公尺高的春聯
台南 晶英酒店寫8.8公尺高的春聯
2016.12.18 吳國豪教授在香港藝術博覽會發表台灣的書法現況,一章節談到陳世憲。
2015.3.4承蒙明道大學國學研究所演講。
2016年旅法陳芳惠教授前年在中研院發表的論文題目是---
《陳世憲:台灣書法與台灣地誌書寫》
寫 "傳揚論壇"
為台灣教會公報社寫"活路"
去屏東為五個社區教 老人書寫自己或土地 有 新埤 小琉球...。
2013.3.5幫李敏忠詩人寫詩集標題"徵人啟事"四字。
2011 李思賢教授-2011《漢字藝術節》─兩岸當代書法學術研討會論文集176(Graphic)
2004. 寫 中都社區 的雜誌標題,總編輯是許玲齡姊。
台南大學簡月娟教授說 : 我上課談到當代書法只提到三個人----董陽孜、徐永進、陳世憲。還要擇一交期末報告! (2018.8 )
ㄡ書道の、もう一つの表現――陳世憲氏による書道形態学の確立
書道の、もう一つの表現――陳世憲氏による書道形態学の確立
李思賢(台湾・東海大学美術学部・美術研究所副教授) 訳・山下一夫(慶應義塾大学理工学部准教授)
はじめに書道は、何をどこまでやることが許されているのだろうか。書道は、どのくらい決まり事があるのだろうか。書道は、いったいどこまで自由度があるのだろうか。人々は書道の伝統の奥深さを知ると、あるいはたじろぎ、あるいはほめ称える。書道の様々な決まり事は、まるで巨大な山のようにそびえ立ち、果てしない大海原のように感じられる。しかしそれは、書道の本質ではない。書道の本質は、あくまでも日常生活の中にある。はるかな昔、人々は鐘や鼎に字を刻み、竹簡に字を書き付けて著作を作り、歴史を記した。文人たちは書斎で文書を書き、手紙を書いた。書道は日常生活から始まったものである。しかしそれを元に、色々な書家たちが千年以上にわたって優れた作品を作りつづけた。そこで様々な「決まり事」ができ、「書」に「道」が加わって、「書道」になった。
書道を、「現代」のものとしたい。多くの書家が、伝統的な筆づかいのやり方自体は変えないまま、様々なスタイルを作り出そうとしてきた。しかしその中に、書道の本質にまで踏み込んだ創作を行った者がどれだけいたかだろうか。誤解を恐れずに言えば、それらはみな、視覚的な部分に多少の改造を加えただけだった。しかし、台南の陳世憲氏は違う。氏の出発点は、自らが育った大地であった。そこから、文字の構成や造型の面白さ、物語性の獲得という、独自の「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」を作り上げた。そしてこれを、20年以上にわたって発展させ、全く新しい表現体系を確立した(図1)。昔からの「決まり」を変える「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」「北の観音、南の白河」。台湾では、蓮の二大産地である北部の桃園市観音と、南部の台南市白河を指して、こう呼ぶ。後者の白河出身の陳世憲氏にとって、蓮の花こそはかれの創作の根源であった。大自然に育まれた田園風景、蛙の鳴き声、花の香り、泥の匂い。これらはすべて氏の創作のインスピレーションの根元である。自然の息づかいを、書道が表現するイメージに変える。氏の書道は、空間に墨で線を描く純粋な創作によって、字を書くことをまるで呼吸や心臓の鼓動のような「普通のこと」に変えることで、自然と出来上がったものなのだ。(李思賢『当代書芸理論体系』、2010年)
上の文は、かつて筆者が最初の本の中で言及した、陳世憲氏の書道についての説明である。氏は「線を描くことを通して『対象物』への感情を表現し、ロマンティックな筆づかいで、蓮の花のような視覚的イメージを描き出す。独り畦道に佇み、夕焼けを眺め、田畑の草の匂いを嗅ぐ。そうして大自然に取材した陳世憲氏の書道創作には、素朴ではあるが奥深い、ある種の生活の感動がある。」(同上書)
氏の書道も、基本的には普通の書家と同じように、伝統的な書道の修行から始めている。しかし氏が他の書家と違っていたのは、伝統的な書道が現代の我々の生活や社会とあまりにかけ離れていることに気が付いた点である。書道の本質と意義は、どこにあるべきなのか。そう考えた氏は、伝統的な筆づかいのあり方と、現実の場面や実際の状況を結びつけ、それによって書道の再出発を行おうと考えた。そして毛筆による線に絵画的な要素を組合せ、文字と図像を融合させたスタイルを作り出した。それが氏の、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」である(図2)。
だから氏の書道は、我々が馴染んできた「普通の書道」とは、字の形や表現が全く異なっている。一番の違いは、中国の古典だとか、仏教の経典や偈文だとか、そうしたものを書くのを辞めたことだ。これによって、伝統的な書道で強調されてきた筆づかいや字体などは、氏の書道にとって重要なものではなくなった。そして氏は、身近な人々の物語を取り上げ、その解釈や説明を、自らの筆で表現した。そうすることで、書道は人々の生活に密着し、それに対する愛情を表現するものなのだと、私たちに示したのである。こうした「地に足を着け」たやり方は、書道に対する巨大な変革であった(図3)。
氏は以前書いた文章の中で、「イメージの具体化」についてこう述べている。「強いインスピレーションに襲われることで、作品のスタイルが決まる。自分の内在的イメージが完全に澄み渡った後、はじめて作品の外在的イメージが、不純物の無い姿で立ち現れてくる。イメージの純度は、創作の美的な深さと密接な関わりがあると感じている。」(「論書法創作的意象凝塑[書道創作におけるイメージの凝縮について]」、2001年)
また氏は、自らの書道創作の核心となるこの「イメージの具体化」には、「大自然の万物から生じたイメージが創作のインスピレーションの元になる」、「生命の力が溢れ出て作品の上に降り注ぎ、人と書が一体になる境地に達する」、「古典世界の雰囲気に導かれることで書のイメージが作り出される」という、三つの方向性があるとも述べている。これらは氏の創作や発想の元を明解に説明した言葉と言えるだろう。このように、感性的な発想に基づきながらも、書道芸術の言語体系を理性的に説明できるという点で、氏の右に出る者はいない。こうして20数年来、氏はこの「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」によって、自らの芸術の道を切り開いていった(図4)。「字遊自在」な情景描写――「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」陳世憲氏の「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の最大の特徴は、伝統に拘らず、そこから逸脱するのを全く恐れないことだ。千年来の中国の書道の伝統には、「越えられない壁」が二つある。一つは、書く内容の文学性である。書道家は、中国の古典の中から鋭い警句や人生への感慨など含蓄のある言葉を抜き出し、それを作品にすることによって、自分の人格と品性を表現してきた。もう一つは、漢字表現の芸術性である。これは書道が芸術として拠って立つ部分であるとも言えるだろう。「とめはね」や「筆づかいの緩急」によって漢字の無限の変化を描き出し、濃淡や飛白といった技法から自らの感情を表現する。また、「書は心画なり」という発想に基づいて芸術としての美学を構築し、「字はその人を表す」という考えに基づいて人間への理解を促す。書道の字は変幻極まりなく、書道の文は深遠な含蓄を有するのだ。伝統的な書道は、この二つを常に追求してきた。しかし陳世憲氏は、それらを脇に追いやり、自らの道を拓いた。
氏は言う。「私が追い求めているのは、人生の本質的な純真さだ。そしてそうした純真さを元に、様々な想像を加えて行くことで作品を完成させてゆく。問題は、そうした構想を表現するのに、篆書、隸書、草書、行書、楷書などでは駄目だ、ということだ。」(『日出日落』作者序)そこで氏は、中国の伝統的な書道の一般的な美学的判定基準を全部、ひとまず棚上げにした(なお「放棄」、ではない)。そして、「字を書く」ということの本質に戻り、現代の書道が持つべき現代の価値を追い求めることにしたのだ。「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」を到達点とする『非草草了事』(2002年)、『荷年荷月』(2003年)、『愛情書』(2005年)、『日出日落』(2011年)という、強い物語性やドラマ性を有する4冊の作品集を出版することで、氏はまず自らの創作活動の最初の段階を完成させた。そしてこれに続いて行ったのが、自ら「書道鞄」を開発したり(図5・図6)、あちこちに行って歌を歌う「流し」にも似た書道の「実演」を行ったりといった、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」に基づく表現活動である(図7)。
「書道鞄」は、氏が「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の延長線上に生み出した、「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」という新たな視点であった。「書道の中で書道を書く」(氏の言葉)という理念のもと、その土地の歴史・風土・文化を考察し、屋外で創作活動を行い、その場所で起こった出来事に関連した内容を書にする。現地に行って書くことで、その場所で感じたことを表現する。『字遊』もその延長線上にできた作品である(図8)。そうした「書道の旅」によって、氏の書道は地誌的(ジオグラフィカル)な幅を持つようになった。これが「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」である。
これは、書道創作を行った場所や現地の風土・民情・文化的故事を記録する、というだけのことではなく、芸術家による「行動的創作」によって、現地において美的感覚の上での内在的な関連性が発生する、ということなのである(図9)。つまり氏は、この「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」によって、現地の人文環境に対する分析や考察、調査などを融合させることで、現地の文化と芸術家が連動するという、全く新しい書道の分野を生み出したのだ。
「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」こそは、『字遊』の美学の中心であった。すなわち『字遊』は、「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」の上に生み出された、出来事が起こった場所における書道の即興的な対話という、新たな創作方法なのである(図10)。例えば、氏が上野公園の桜の樹の下で書いた「桜開放」、「桜盛開」、「青春是甚麼 恋愛是甚麼[青春とは何か、恋愛とは何か]」、「飛雪」。日本映画界の巨匠・小津安二郎の墓の前で書いた「而今」、「無」、「有」。これらはいずれも、そうした対話の例である。氏の「世界の書道の旅」は、芸術の新たな領域を開拓し、書道家が自らの情感を表現する、非常に興味深いスタイルであると言える。また氏の旅は、外出によって単に身体的な体験を獲得するというものではなく、心の変遷に合わせた三段階の変化を経ていくものだと言う。氏は言う。
第一段階は「単純な旅」、第二段階が「文化の旅」、第三段階が「旅先での調査研究」、である。すなわち、一番最初はどのような物事が待ち構えているか、まだ全く解らない。単にそこに行ってみたいと思ったから行き、何か問題があればその都度解決する。この段階ではいわば、反射的な対応をしているだけだ。次に、現地に行ってそこの風景を見る。もし過去に作家が描写していたり、画家が絵を描いていたりすれば、そうした作品も知ることで、その場所の文化的意義をより深く理解することができる。そして最後に、その中から特定の街を選び、何度も繰り返し訪れてみる。それによってそこの風土や、突然訪れる台風、季節の果物、人々の移動などに触れ、かれらと一緒に笑い、一緒にお祭りを祝い、一緒に花が咲くのを楽しむ。そうするとかれらは自分を親戚のように扱いはじめるし、自分もかれらに関心を寄せるようになる。そうして、生命は新たな境地へと展開していく。(陳世憲「桜花樹下写書法」)
この短い文章から解るのは、氏にとっての旅は、身体から視覚へ、視覚から感覚へ、そして感覚から文化の中へと、段々に浸透していき、最終的にそれは逐次的・多層的な感動が凝縮された書道表現として結実する、ということである。これこそが、氏が書道芸術の伝統を突破して創り出した「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」であり、「書道」の新たな創造、またその芸術的本質の再解釈という点において、非常に重要な意義を有していると言えるだろう。新領域を開拓し、新生を図る方法論:「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」書道の道に進むことを決めてから20数年間、陳世憲氏は書道による表現を即興のパフォーマンスや文化的商品の開発へと向かわせ、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の実践を全方位に向けて試みた。それによって人々の生活と密接に関わる貴重な文化と生命の物語とを結合させ、ある種の情感を持つ現代的な書道を創造した(図11)。氏はまた、芸術表現の視覚的・形式的部分の改造だけではなく、他にも様々な取り組みを行っている。中でも特筆すべきは、氏が現在、UNESCOの無形文化遺産にも登録された日本の「細川紙」を元に、現地に委託して改良した「世憲紙」を用いていることである。
現代水墨画の新局面を拓いた台湾の水墨画家の劉国松氏も、実はこれと全く同じことを1960年代に行っている。劉国松氏は偶然、民俗紙や提灯の材料として使われていた麻紙を見つけ、これを改良した「国松紙」を用いることで、水墨画の伝統を打ち破り、新たな視覚的伝達手段を創り出した。「世憲紙」と「国松紙」は、単に似たような材料を採用したというだけでは無く、それによって伝統美術の新たな道を拓いたという点で、同じ構造を有している。「天才のやることは似ている」のだ。
『字遊』から解るのは、陳世憲氏の興味はもはや、「書はこうあるべき」という点には無く、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の方法論を確立させようとしていることだ。氏の構想は、コンビニが打ち出した新しい営業形態に例えることができるだろう。すなわちコンビニはお弁当を売り、コーヒーを売るだけでなく、お弁当を食べコーヒーを飲む場所を作った。単に物を売るだけという従来型の商店に対し、コンビニはその物を使う環境も含めて買い手に提供したのである。陳世憲氏はこれと同じ方法で、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」や「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」から『字遊』の書道創作に至る、大きな枠組と価値を作り出していった。
『字遊』は、氏が旅で訪れたすべての場所と対応している。氏は現地の人文、自然、風土から感得した体験を、自らの即興的な書道創作の中に融合させた。こうした氏の創作方法は、例えば画家が屋外で写生を行う時に、目の前の風景だけでなく、そよいでくる風、草の香り、陽の光、空の息吹などを感じ、それらすべてを作品の中に盛り込むこととも似ている(図12)。しかし氏が構想している書道の範囲はそれだけに止まらず、さらに『字遊』の「書道の旅」によって文化的商品開発や観光を促進させ、「書道」を中心とする文化システムを全方位に向けて作り出していこうとしている。氏のこうした方法は、書道という分野においてまさに空前の発明だと言うことができるだろう。
氏の書道は、心の中に凝縮されたイメージによる「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」にせよ、分野を超えた芸術表現としてのパフォーマンスにせよ、「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」から帰納・演繹された台湾アイデンティティーの鞄にせよ、あるいは人文的景観を投射させ現場の環を元に書道創作を行う「世界の書道の旅」にせよ、中国の伝統的な書道からはかなり距離があるものとなっている(図13)。氏の書道は、もはや中国の伝統的な文人の延長線上にあるものではなく、土地に根ざし、時と共に歩む、全く新しい「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」なのである。我々は、氏の書道から様々な点において「台湾風」を感じることができる。これは台湾の書道家が、伝統的文人の書道と異なる方法で人、事、時、地、物などに対して行う表現としての書道なのである。
したがって「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」は、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」と「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」の総和であり、また芸術システムの新たな構築であると言えるだろう(図14)。氏の構想する「書道」は、非常に早い段階から「いい加減にやっているのでは無い」(訳注・原文は「非草草了事」。氏の最初の作品集のタイトル)。氏は単なる視覚面や材料面・技術面の改造をしているわけではなく、書道の新たな体系を構築しそのパラダイム転換を行う、歴史的な偉業を成し遂げつつあるのだ。おわりに筆者は世憲と知り合って30年近くになる。大学時代に伝統的な書道を学び、後に故郷の台南の白河に戻り、豚小屋を改造した書斎で「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」を練り上げ、「白河蓮花書道実演大会(白河蓮花書法表演大賽)」を立ち上げ、ここ数年はあちこちで実演を行い、さらに現在の「世界の書道の旅」の『字遊』まで、氏の様々な、実に様々な活動を、筆者は長い間眺めてきた。20年以上の蓄積によって、氏は現在、極めて優れた成果を上げている(図15)。
氏のこうした奮闘は、書道、文化、土地、人々に対する強い情熱と使命感がなければ、決してやり遂げることができなかった。氏の見識と書道に対する芸術的観察は、視覚芸術という限られた範囲を遥かに超越し、文化全体が置かれるべき場所へと回帰して、全体のパースペクティブを獲得するに至っている。そして、今まで見たことが無いような、極めて「土俗的」なやり方で、まるでドン・キホーテのように突き進み、書道の新たな体系を作り上げていった。氏の努力によって、書道は中国の伝統の二つの「山」を乗り越えただけでなく、美学の内在的・外在的関係を完全に作り替え、中国の書道とは全く異なる現代書道の体系を確立した。それが、「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」である。
こうした点から見て、氏の書道全体、さらに文化全体に対する貢献は極めて大きいと言えるだろう。氏は今年、「天命を知る」歳である。今後も努力を怠ることなく、氏の究極の理想を実行し、普及させて行って欲しいと思う(図16)。書道における「陳世憲現象」は、今後も期待を持ち、観察と研究に値するものだと、筆者は確信している。
【図】
図1 屏東市万巒の五溝水村にある、典型的な客家の住居の「和興夥房」で、二本の筆を用いて書いた「興」。二本の筆を兄弟に例え、家運やよろず事が「興」る、とした。(2017)
図2 「待客之心[おもてなし]」。台南奇美博物館で開催された東京静嘉堂文庫所蔵展で、陳世憲氏が招聘を受けて書いた題字。所蔵物の寄贈に対する返礼の意味を込めている。(2017)
図3 「韻雅境徳」。嘉義県で開催された「世界搏茶会」で、陳世憲氏が招聘を受けて書いた題字。三本の筆を使い、茶色・オレンジ色・黄色の三色を用いることで、阿里山の茶の色を表現している。(2018)
図4 氏が実家の「白河豚寮工作室」に書いた春聯。毎年内容を変えている。氏は、伝統がどうかは関係無く、毎年の年越しの時の自分の感情を元に書いている、と言う。(2013)
図5 「高雄人」の鞄。全体が高雄市の地図になっており、緑色は乾いた愛河に樹木の影が映る様子を表し、また「人」の字は人々の情熱的な様を表現している。
図6 「台東人」の鞄。「台」の字の上半分は台東名産のバンレイシ、下半分は台東の太麻里の日の出で(注・太麻里は台湾で最も早く日の出が見える所として有名である)、「人」の字の最後の一画は、山地に住む台湾原住民が山を登って行く時、脚に力を込める様子を表す。
図7 氏が嘉義県朴子市の朴子国民小学創立120周年の際、自身の娘のバイオリンの演奏と共に書いた、「朴國百廿」の題字。(2017)
図8 2018年の戊戌年の春節の際、国立故宮博物院南部院区から招聘を受けた氏が書いた巨大な春聯。1文字約2mもあり、非常に美しい。なお建物は書道をイメージしてデザインされており、極めて印象的である。(2018)
図9 「六堆」の鞄。陳世憲氏は六本の筆と六種類の色を使い、台湾南部を開墾した客家の活力溢れる様を表現した。
図10 氏が新営郵便局で郵便物収集車を前に行った創作。この後で書を投函したところ、すぐに配達が行われるという場面もあった。(2017)
図11 氏が台湾の中華郵政公司から出版するため書いた題字。その後、初日スタンプカバーが作られた。(2017)
図12 友人だった亮岑茶人の追悼茶会で、氏が自身の茶に対する考えを書いたもの。氏は、今この瞬間、亮岑の魂は家廟の上を飛んでいるはずなので、字も空を飛んでいるように書く、と言っている。(2018)
図13 「基益基金会」の招聘で『擬態書写』展覧会の開幕式に出席した際、氏はアメリカの詩人ロバート・フロストの詩「行かなかった道」を七言律詩に改編し、陳世霖氏によるチェロの伴奏や舞踏家のダンスとともに、書道のパフォーマンスを行った。台南市永康の奔放E倉庫にて。(2018)
図14 陳世憲氏が「書・適――書写情境的生活現場」展覧会(李思賢プロデュース)に参加した際、会場で書いた「生活都在節奏之中[生活はすべてリズムの中に]」。台北の国立台湾博物館南門園区小白宮にて。(2014)
図15 「翻飛」(カンバス・アクリル、2013)。嘉南平原の稲穂が、陽の光が輝く中で、風に揺られて金色にきらめく様子を描く。(2013)
図16 友人だった亮岑茶人の追悼茶会では、祭文を読み上げて亡き友への感慨を語った。(2018.8)
書道の、もう一つの表現――陳世憲氏による書道形態学の確立
李思賢(台湾・東海大学美術学部・美術研究所副教授) 訳・山下一夫(慶應義塾大学理工学部准教授)
はじめに書道は、何をどこまでやることが許されているのだろうか。書道は、どのくらい決まり事があるのだろうか。書道は、いったいどこまで自由度があるのだろうか。人々は書道の伝統の奥深さを知ると、あるいはたじろぎ、あるいはほめ称える。書道の様々な決まり事は、まるで巨大な山のようにそびえ立ち、果てしない大海原のように感じられる。しかしそれは、書道の本質ではない。書道の本質は、あくまでも日常生活の中にある。はるかな昔、人々は鐘や鼎に字を刻み、竹簡に字を書き付けて著作を作り、歴史を記した。文人たちは書斎で文書を書き、手紙を書いた。書道は日常生活から始まったものである。しかしそれを元に、色々な書家たちが千年以上にわたって優れた作品を作りつづけた。そこで様々な「決まり事」ができ、「書」に「道」が加わって、「書道」になった。
書道を、「現代」のものとしたい。多くの書家が、伝統的な筆づかいのやり方自体は変えないまま、様々なスタイルを作り出そうとしてきた。しかしその中に、書道の本質にまで踏み込んだ創作を行った者がどれだけいたかだろうか。誤解を恐れずに言えば、それらはみな、視覚的な部分に多少の改造を加えただけだった。しかし、台南の陳世憲氏は違う。氏の出発点は、自らが育った大地であった。そこから、文字の構成や造型の面白さ、物語性の獲得という、独自の「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」を作り上げた。そしてこれを、20年以上にわたって発展させ、全く新しい表現体系を確立した(図1)。昔からの「決まり」を変える「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」「北の観音、南の白河」。台湾では、蓮の二大産地である北部の桃園市観音と、南部の台南市白河を指して、こう呼ぶ。後者の白河出身の陳世憲氏にとって、蓮の花こそはかれの創作の根源であった。大自然に育まれた田園風景、蛙の鳴き声、花の香り、泥の匂い。これらはすべて氏の創作のインスピレーションの根元である。自然の息づかいを、書道が表現するイメージに変える。氏の書道は、空間に墨で線を描く純粋な創作によって、字を書くことをまるで呼吸や心臓の鼓動のような「普通のこと」に変えることで、自然と出来上がったものなのだ。(李思賢『当代書芸理論体系』、2010年)
上の文は、かつて筆者が最初の本の中で言及した、陳世憲氏の書道についての説明である。氏は「線を描くことを通して『対象物』への感情を表現し、ロマンティックな筆づかいで、蓮の花のような視覚的イメージを描き出す。独り畦道に佇み、夕焼けを眺め、田畑の草の匂いを嗅ぐ。そうして大自然に取材した陳世憲氏の書道創作には、素朴ではあるが奥深い、ある種の生活の感動がある。」(同上書)
氏の書道も、基本的には普通の書家と同じように、伝統的な書道の修行から始めている。しかし氏が他の書家と違っていたのは、伝統的な書道が現代の我々の生活や社会とあまりにかけ離れていることに気が付いた点である。書道の本質と意義は、どこにあるべきなのか。そう考えた氏は、伝統的な筆づかいのあり方と、現実の場面や実際の状況を結びつけ、それによって書道の再出発を行おうと考えた。そして毛筆による線に絵画的な要素を組合せ、文字と図像を融合させたスタイルを作り出した。それが氏の、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」である(図2)。
だから氏の書道は、我々が馴染んできた「普通の書道」とは、字の形や表現が全く異なっている。一番の違いは、中国の古典だとか、仏教の経典や偈文だとか、そうしたものを書くのを辞めたことだ。これによって、伝統的な書道で強調されてきた筆づかいや字体などは、氏の書道にとって重要なものではなくなった。そして氏は、身近な人々の物語を取り上げ、その解釈や説明を、自らの筆で表現した。そうすることで、書道は人々の生活に密着し、それに対する愛情を表現するものなのだと、私たちに示したのである。こうした「地に足を着け」たやり方は、書道に対する巨大な変革であった(図3)。
氏は以前書いた文章の中で、「イメージの具体化」についてこう述べている。「強いインスピレーションに襲われることで、作品のスタイルが決まる。自分の内在的イメージが完全に澄み渡った後、はじめて作品の外在的イメージが、不純物の無い姿で立ち現れてくる。イメージの純度は、創作の美的な深さと密接な関わりがあると感じている。」(「論書法創作的意象凝塑[書道創作におけるイメージの凝縮について]」、2001年)
また氏は、自らの書道創作の核心となるこの「イメージの具体化」には、「大自然の万物から生じたイメージが創作のインスピレーションの元になる」、「生命の力が溢れ出て作品の上に降り注ぎ、人と書が一体になる境地に達する」、「古典世界の雰囲気に導かれることで書のイメージが作り出される」という、三つの方向性があるとも述べている。これらは氏の創作や発想の元を明解に説明した言葉と言えるだろう。このように、感性的な発想に基づきながらも、書道芸術の言語体系を理性的に説明できるという点で、氏の右に出る者はいない。こうして20数年来、氏はこの「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」によって、自らの芸術の道を切り開いていった(図4)。「字遊自在」な情景描写――「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」陳世憲氏の「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の最大の特徴は、伝統に拘らず、そこから逸脱するのを全く恐れないことだ。千年来の中国の書道の伝統には、「越えられない壁」が二つある。一つは、書く内容の文学性である。書道家は、中国の古典の中から鋭い警句や人生への感慨など含蓄のある言葉を抜き出し、それを作品にすることによって、自分の人格と品性を表現してきた。もう一つは、漢字表現の芸術性である。これは書道が芸術として拠って立つ部分であるとも言えるだろう。「とめはね」や「筆づかいの緩急」によって漢字の無限の変化を描き出し、濃淡や飛白といった技法から自らの感情を表現する。また、「書は心画なり」という発想に基づいて芸術としての美学を構築し、「字はその人を表す」という考えに基づいて人間への理解を促す。書道の字は変幻極まりなく、書道の文は深遠な含蓄を有するのだ。伝統的な書道は、この二つを常に追求してきた。しかし陳世憲氏は、それらを脇に追いやり、自らの道を拓いた。
氏は言う。「私が追い求めているのは、人生の本質的な純真さだ。そしてそうした純真さを元に、様々な想像を加えて行くことで作品を完成させてゆく。問題は、そうした構想を表現するのに、篆書、隸書、草書、行書、楷書などでは駄目だ、ということだ。」(『日出日落』作者序)そこで氏は、中国の伝統的な書道の一般的な美学的判定基準を全部、ひとまず棚上げにした(なお「放棄」、ではない)。そして、「字を書く」ということの本質に戻り、現代の書道が持つべき現代の価値を追い求めることにしたのだ。「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」を到達点とする『非草草了事』(2002年)、『荷年荷月』(2003年)、『愛情書』(2005年)、『日出日落』(2011年)という、強い物語性やドラマ性を有する4冊の作品集を出版することで、氏はまず自らの創作活動の最初の段階を完成させた。そしてこれに続いて行ったのが、自ら「書道鞄」を開発したり(図5・図6)、あちこちに行って歌を歌う「流し」にも似た書道の「実演」を行ったりといった、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」に基づく表現活動である(図7)。
「書道鞄」は、氏が「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の延長線上に生み出した、「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」という新たな視点であった。「書道の中で書道を書く」(氏の言葉)という理念のもと、その土地の歴史・風土・文化を考察し、屋外で創作活動を行い、その場所で起こった出来事に関連した内容を書にする。現地に行って書くことで、その場所で感じたことを表現する。『字遊』もその延長線上にできた作品である(図8)。そうした「書道の旅」によって、氏の書道は地誌的(ジオグラフィカル)な幅を持つようになった。これが「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」である。
これは、書道創作を行った場所や現地の風土・民情・文化的故事を記録する、というだけのことではなく、芸術家による「行動的創作」によって、現地において美的感覚の上での内在的な関連性が発生する、ということなのである(図9)。つまり氏は、この「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」によって、現地の人文環境に対する分析や考察、調査などを融合させることで、現地の文化と芸術家が連動するという、全く新しい書道の分野を生み出したのだ。
「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」こそは、『字遊』の美学の中心であった。すなわち『字遊』は、「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」の上に生み出された、出来事が起こった場所における書道の即興的な対話という、新たな創作方法なのである(図10)。例えば、氏が上野公園の桜の樹の下で書いた「桜開放」、「桜盛開」、「青春是甚麼 恋愛是甚麼[青春とは何か、恋愛とは何か]」、「飛雪」。日本映画界の巨匠・小津安二郎の墓の前で書いた「而今」、「無」、「有」。これらはいずれも、そうした対話の例である。氏の「世界の書道の旅」は、芸術の新たな領域を開拓し、書道家が自らの情感を表現する、非常に興味深いスタイルであると言える。また氏の旅は、外出によって単に身体的な体験を獲得するというものではなく、心の変遷に合わせた三段階の変化を経ていくものだと言う。氏は言う。
第一段階は「単純な旅」、第二段階が「文化の旅」、第三段階が「旅先での調査研究」、である。すなわち、一番最初はどのような物事が待ち構えているか、まだ全く解らない。単にそこに行ってみたいと思ったから行き、何か問題があればその都度解決する。この段階ではいわば、反射的な対応をしているだけだ。次に、現地に行ってそこの風景を見る。もし過去に作家が描写していたり、画家が絵を描いていたりすれば、そうした作品も知ることで、その場所の文化的意義をより深く理解することができる。そして最後に、その中から特定の街を選び、何度も繰り返し訪れてみる。それによってそこの風土や、突然訪れる台風、季節の果物、人々の移動などに触れ、かれらと一緒に笑い、一緒にお祭りを祝い、一緒に花が咲くのを楽しむ。そうするとかれらは自分を親戚のように扱いはじめるし、自分もかれらに関心を寄せるようになる。そうして、生命は新たな境地へと展開していく。(陳世憲「桜花樹下写書法」)
この短い文章から解るのは、氏にとっての旅は、身体から視覚へ、視覚から感覚へ、そして感覚から文化の中へと、段々に浸透していき、最終的にそれは逐次的・多層的な感動が凝縮された書道表現として結実する、ということである。これこそが、氏が書道芸術の伝統を突破して創り出した「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」であり、「書道」の新たな創造、またその芸術的本質の再解釈という点において、非常に重要な意義を有していると言えるだろう。新領域を開拓し、新生を図る方法論:「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」書道の道に進むことを決めてから20数年間、陳世憲氏は書道による表現を即興のパフォーマンスや文化的商品の開発へと向かわせ、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の実践を全方位に向けて試みた。それによって人々の生活と密接に関わる貴重な文化と生命の物語とを結合させ、ある種の情感を持つ現代的な書道を創造した(図11)。氏はまた、芸術表現の視覚的・形式的部分の改造だけではなく、他にも様々な取り組みを行っている。中でも特筆すべきは、氏が現在、UNESCOの無形文化遺産にも登録された日本の「細川紙」を元に、現地に委託して改良した「世憲紙」を用いていることである。
現代水墨画の新局面を拓いた台湾の水墨画家の劉国松氏も、実はこれと全く同じことを1960年代に行っている。劉国松氏は偶然、民俗紙や提灯の材料として使われていた麻紙を見つけ、これを改良した「国松紙」を用いることで、水墨画の伝統を打ち破り、新たな視覚的伝達手段を創り出した。「世憲紙」と「国松紙」は、単に似たような材料を採用したというだけでは無く、それによって伝統美術の新たな道を拓いたという点で、同じ構造を有している。「天才のやることは似ている」のだ。
『字遊』から解るのは、陳世憲氏の興味はもはや、「書はこうあるべき」という点には無く、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」の方法論を確立させようとしていることだ。氏の構想は、コンビニが打ち出した新しい営業形態に例えることができるだろう。すなわちコンビニはお弁当を売り、コーヒーを売るだけでなく、お弁当を食べコーヒーを飲む場所を作った。単に物を売るだけという従来型の商店に対し、コンビニはその物を使う環境も含めて買い手に提供したのである。陳世憲氏はこれと同じ方法で、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」や「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」から『字遊』の書道創作に至る、大きな枠組と価値を作り出していった。
『字遊』は、氏が旅で訪れたすべての場所と対応している。氏は現地の人文、自然、風土から感得した体験を、自らの即興的な書道創作の中に融合させた。こうした氏の創作方法は、例えば画家が屋外で写生を行う時に、目の前の風景だけでなく、そよいでくる風、草の香り、陽の光、空の息吹などを感じ、それらすべてを作品の中に盛り込むこととも似ている(図12)。しかし氏が構想している書道の範囲はそれだけに止まらず、さらに『字遊』の「書道の旅」によって文化的商品開発や観光を促進させ、「書道」を中心とする文化システムを全方位に向けて作り出していこうとしている。氏のこうした方法は、書道という分野においてまさに空前の発明だと言うことができるだろう。
氏の書道は、心の中に凝縮されたイメージによる「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」にせよ、分野を超えた芸術表現としてのパフォーマンスにせよ、「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」から帰納・演繹された台湾アイデンティティーの鞄にせよ、あるいは人文的景観を投射させ現場の環を元に書道創作を行う「世界の書道の旅」にせよ、中国の伝統的な書道からはかなり距離があるものとなっている(図13)。氏の書道は、もはや中国の伝統的な文人の延長線上にあるものではなく、土地に根ざし、時と共に歩む、全く新しい「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」なのである。我々は、氏の書道から様々な点において「台湾風」を感じることができる。これは台湾の書道家が、伝統的文人の書道と異なる方法で人、事、時、地、物などに対して行う表現としての書道なのである。
したがって「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」は、「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」と「地誌書法(ジオグラフィカル・カリグラフィー)」の総和であり、また芸術システムの新たな構築であると言えるだろう(図14)。氏の構想する「書道」は、非常に早い段階から「いい加減にやっているのでは無い」(訳注・原文は「非草草了事」。氏の最初の作品集のタイトル)。氏は単なる視覚面や材料面・技術面の改造をしているわけではなく、書道の新たな体系を構築しそのパラダイム転換を行う、歴史的な偉業を成し遂げつつあるのだ。おわりに筆者は世憲と知り合って30年近くになる。大学時代に伝統的な書道を学び、後に故郷の台南の白河に戻り、豚小屋を改造した書斎で「意象書法(イメージ・カリグラフィー)」を練り上げ、「白河蓮花書道実演大会(白河蓮花書法表演大賽)」を立ち上げ、ここ数年はあちこちで実演を行い、さらに現在の「世界の書道の旅」の『字遊』まで、氏の様々な、実に様々な活動を、筆者は長い間眺めてきた。20年以上の蓄積によって、氏は現在、極めて優れた成果を上げている(図15)。
氏のこうした奮闘は、書道、文化、土地、人々に対する強い情熱と使命感がなければ、決してやり遂げることができなかった。氏の見識と書道に対する芸術的観察は、視覚芸術という限られた範囲を遥かに超越し、文化全体が置かれるべき場所へと回帰して、全体のパースペクティブを獲得するに至っている。そして、今まで見たことが無いような、極めて「土俗的」なやり方で、まるでドン・キホーテのように突き進み、書道の新たな体系を作り上げていった。氏の努力によって、書道は中国の伝統の二つの「山」を乗り越えただけでなく、美学の内在的・外在的関係を完全に作り替え、中国の書道とは全く異なる現代書道の体系を確立した。それが、「台湾書法(タイワン・カリグラフィー)」である。
こうした点から見て、氏の書道全体、さらに文化全体に対する貢献は極めて大きいと言えるだろう。氏は今年、「天命を知る」歳である。今後も努力を怠ることなく、氏の究極の理想を実行し、普及させて行って欲しいと思う(図16)。書道における「陳世憲現象」は、今後も期待を持ち、観察と研究に値するものだと、筆者は確信している。
【図】
図1 屏東市万巒の五溝水村にある、典型的な客家の住居の「和興夥房」で、二本の筆を用いて書いた「興」。二本の筆を兄弟に例え、家運やよろず事が「興」る、とした。(2017)
図2 「待客之心[おもてなし]」。台南奇美博物館で開催された東京静嘉堂文庫所蔵展で、陳世憲氏が招聘を受けて書いた題字。所蔵物の寄贈に対する返礼の意味を込めている。(2017)
図3 「韻雅境徳」。嘉義県で開催された「世界搏茶会」で、陳世憲氏が招聘を受けて書いた題字。三本の筆を使い、茶色・オレンジ色・黄色の三色を用いることで、阿里山の茶の色を表現している。(2018)
図4 氏が実家の「白河豚寮工作室」に書いた春聯。毎年内容を変えている。氏は、伝統がどうかは関係無く、毎年の年越しの時の自分の感情を元に書いている、と言う。(2013)
図5 「高雄人」の鞄。全体が高雄市の地図になっており、緑色は乾いた愛河に樹木の影が映る様子を表し、また「人」の字は人々の情熱的な様を表現している。
図6 「台東人」の鞄。「台」の字の上半分は台東名産のバンレイシ、下半分は台東の太麻里の日の出で(注・太麻里は台湾で最も早く日の出が見える所として有名である)、「人」の字の最後の一画は、山地に住む台湾原住民が山を登って行く時、脚に力を込める様子を表す。
図7 氏が嘉義県朴子市の朴子国民小学創立120周年の際、自身の娘のバイオリンの演奏と共に書いた、「朴國百廿」の題字。(2017)
図8 2018年の戊戌年の春節の際、国立故宮博物院南部院区から招聘を受けた氏が書いた巨大な春聯。1文字約2mもあり、非常に美しい。なお建物は書道をイメージしてデザインされており、極めて印象的である。(2018)
図9 「六堆」の鞄。陳世憲氏は六本の筆と六種類の色を使い、台湾南部を開墾した客家の活力溢れる様を表現した。
図10 氏が新営郵便局で郵便物収集車を前に行った創作。この後で書を投函したところ、すぐに配達が行われるという場面もあった。(2017)
図11 氏が台湾の中華郵政公司から出版するため書いた題字。その後、初日スタンプカバーが作られた。(2017)
図12 友人だった亮岑茶人の追悼茶会で、氏が自身の茶に対する考えを書いたもの。氏は、今この瞬間、亮岑の魂は家廟の上を飛んでいるはずなので、字も空を飛んでいるように書く、と言っている。(2018)
図13 「基益基金会」の招聘で『擬態書写』展覧会の開幕式に出席した際、氏はアメリカの詩人ロバート・フロストの詩「行かなかった道」を七言律詩に改編し、陳世霖氏によるチェロの伴奏や舞踏家のダンスとともに、書道のパフォーマンスを行った。台南市永康の奔放E倉庫にて。(2018)
図14 陳世憲氏が「書・適――書写情境的生活現場」展覧会(李思賢プロデュース)に参加した際、会場で書いた「生活都在節奏之中[生活はすべてリズムの中に]」。台北の国立台湾博物館南門園区小白宮にて。(2014)
図15 「翻飛」(カンバス・アクリル、2013)。嘉南平原の稲穂が、陽の光が輝く中で、風に揺られて金色にきらめく様子を描く。(2013)
図16 友人だった亮岑茶人の追悼茶会では、祭文を読み上げて亡き友への感慨を語った。(2018.8)
陳世憲下筆的時候並不是給別人看他自己很能夠把握這個筆,而是他自己深有感情,他的感情是對台灣有感情,所以人家看的時候就覺得跟別的書法家不一樣的是,他並不是那種像在台北或是在中國那樣的那些書法家,現代書法家,他們可以住在紐約、住在巴黎、住在東京、住在台北,就是創造的作品都一樣,當然是很有意思的,但是跟當地的文化不一定是有關係的,他的完全不一樣,他每一張作品都有自己的故事,都跟當地人、本地的文化有關係。
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李思賢教授-2011《漢字藝術節》─兩岸當代書法學術研討會論文集176(Graphic)
(四)、現場揮毫的表演遊戲「漢字藝術」的另一種型態表現,是承襲自傳統書法當眾揮毫的「書法表演」。新型態的書法表演,多半伴隨著跨領域的藝術感通,參與此類創作的現代書藝家通常都選擇以音樂或詩歌朗誦作為「對話」的對象。這種從當代書藝所延伸出來的「漢字藝術」,都有著很濃烈的個人特色。以現場揮毫表演作為創作舞台的、曝光率最高的台灣書藝家,首推徐永進和陳世憲,這兩位書藝家長年來都鍥而不捨地在為當代書藝的內容,找尋、嘗試和開發更為有趣或有意味的形式表現。徐永進早些年前和民族音樂學者林谷芳的書藝對話,早已蔚為經典;他最新跨域對話的揮毫書藝表演,是在台中的國立台灣美術館前廣場。市府為了宣示台中市的「草悟道」設置,邀請書藝大師徐永進為「草悟道」的主題意象題字,並與知名台灣打擊團體「優人神鼓」進行一場跨域對話演出(2011/3/5)。【圖9】表演行進間,就看「優人神鼓」的打擊手在成排的大鼓中,忽快忽慢、若輕若重的敲擊著;轟隆的鼓聲節奏,觸動徐永進的筆刷在五連屏的大尺幅宣紙上來回遊走,最終寫出了唐代白居易的詩「離離原上草,一歲一枯榮。野火燒不盡,春風吹又生。」(《賦得古原草送別》)和台中都會綠帶再生計畫【圖9】書藝家徐永進與打擊團體「優人神鼓」的跨域對話(台中國美館,2011)8參見拙文:〈當代書藝展延為一種文化情境—以漢字動畫和文創為例〉,收錄於《「『書法.跨域』─2011 台灣書法史學術研討會」論文集》會議本(台北:台灣中國書法學會,2011 年 5 月),134 頁。「漢字藝術」本體考— 當代以漢字為主體的多重輻射表達177「草悟道」的形象文字兩件作品。與此同時,市政府也在廣場上排滿了數排長條的桌椅、佈好成卷的筆墨紙硯,邀集百位民眾參與《行‧雲‧流‧水——草悟道一公里長書法撰寫活動》【圖10】,傾刻間讓書法成了在場所有人的共同語言。這樣的活動,雖稍稍令人感動,但卻有著更多美學不搭調、不協調的古怪。而陳世憲則是馬不停蹄地在海內外以他獨特的書寫揮毫表演,不遺餘力地將中國書法藝術推展至各地。2011年7月3【圖10】孩童排排坐,一同參與《行‧雲‧流‧水—草悟道一公里長書法撰寫活動》(台中國美館,2011)日,他用個人的力量,說動了家鄉台南白河的官員、議員和地方的教育界、書法界人士,以及各級學校熱愛書法、學習書法的學生,舉辦了「第一屆白河蓮花書法表演大賽」。【圖11】參與的人士,尤其是幾位接力上台的書家(包括陳世憲),看來心情上都頗為亢奮和激動,也在音樂的伴隨中,將這種心裡的激情轉化為筆墨、溢滿於紙上。從結果看來,儘管仍有獎項的頒發,但讓人印象深刻的,還是書家們通過筆墨在現場心情的直接流洩。雖然白河是個鄉間小鎮,但在陳世憲獨自一人之力所凝聚的眾人對於書法的熱愛的能量,這種建立在土地感上微妙的情感而體現在書藝的表達上,十分有趣,是個值得另文細探的議題。【圖11】《白河蓮花書法表演大賽》(白河國中,2011)徐永進和陳世憲在上述的書藝表演經驗,從參與者和參觀民眾的神情上看來,多半仍是看熱鬧者居多;但若從活動的場合與狀態、規劃的主旨及目的來看,這樣的現場揮毫與傳統水墨或書法的示範揮毫,實在仍有本質上極大的差異。
靜宜大學李思賢教授的論文.
他(世憲)用個人的力量,說動了家鄉台南白河的官員、議員和地方的教育界、書法
界人士,以及各級學校熱愛書法、學習書法的學生,舉辦了「第一屆白河蓮花書
法表演大賽」(和第2屆)
。
【圖
11
】參與的人士,
尤其是幾位接力上台的書家(
包括陳世憲)
,
看來心情上都頗為亢奮和激動,也在音樂的伴隨中,將這種心裡的激情轉化為筆
墨、溢滿於紙上。從結果看來,儘
管仍有獎項的頒發,但讓人印象深
刻的,還是書家們通過筆墨在現場
心情的直接流洩。雖然白河是個鄉
間小鎮,但在陳世憲獨自一人之力
所凝聚的眾人對於書法的熱愛的
能量,這種建立在土地感上微妙的
情感而體現在書藝的表達上,十分
有趣,是個值得另文細探的議題。
【圖
11
】
《白河蓮花書法表演大賽》
(白河國中,
2011
)
徐永進和陳世憲在上述的書藝表演經驗,從參與者和參觀民眾的神情上看
來,多半仍是看熱鬧者居多;但若從活動的場合與狀態、規劃的主旨及目的來看,
這樣的現場揮毫與傳統水墨或書法的示範揮毫,實在仍有本質上極大的差異 .
他(世憲)用個人的力量,說動了家鄉台南白河的官員、議員和地方的教育界、書法
界人士,以及各級學校熱愛書法、學習書法的學生,舉辦了「第一屆白河蓮花書
法表演大賽」(和第2屆)
。
【圖
11
】參與的人士,
尤其是幾位接力上台的書家(
包括陳世憲)
,
看來心情上都頗為亢奮和激動,也在音樂的伴隨中,將這種心裡的激情轉化為筆
墨、溢滿於紙上。從結果看來,儘
管仍有獎項的頒發,但讓人印象深
刻的,還是書家們通過筆墨在現場
心情的直接流洩。雖然白河是個鄉
間小鎮,但在陳世憲獨自一人之力
所凝聚的眾人對於書法的熱愛的
能量,這種建立在土地感上微妙的
情感而體現在書藝的表達上,十分
有趣,是個值得另文細探的議題。
【圖
11
】
《白河蓮花書法表演大賽》
(白河國中,
2011
)
徐永進和陳世憲在上述的書藝表演經驗,從參與者和參觀民眾的神情上看
來,多半仍是看熱鬧者居多;但若從活動的場合與狀態、規劃的主旨及目的來看,
這樣的現場揮毫與傳統水墨或書法的示範揮毫,實在仍有本質上極大的差異 .
李思賢 2018.01.27 廿九之緣
認識世憲學長將近30年了!何等緣份呵… 從大二我為他刻一方「老實種田」的印章、他送我一件書法條幅起,自此結下了不解之緣。自巴黎返台至今,我陸陸續續策了幾檔與書寫相關的展,都找了世憲來參展,而他每每也都十分賞光、兩肋插刀地力挺到底。
我們英雄相惜,藉由數次的合作,建構出了結合東海校友和藝術戰友的具有書藝特色的書寫主義道路!昨天,他才剛剛為我寫了《玄機》二字的書藝作品;而數週前,我也才為他《字遊·書》系列作品即將出版的著作寫序!就是這麼麻吉的關係,讓我和世憲學長培養了綿密的友誼。
在此,謹貼上我為《字遊·書》所作的序文,除了為我們的友誼作註腳之外,也為我們即將開啟的日本東京策展案宣示和暖身…
~~~~~~~~
建構意象書法方法論
—為陳世憲《字遊·書》作序 李思賢(東海大學美術系所副教授)
書法之法究竟其法度的限制有多大?法度的框架有多寬?而書寫的自由度又有多高?面對傳統書法的許多深厚內涵,往往讓大眾望書法卻步、望書法興嘆。所為者何?多半就是這一個「法」的框架,讓人難以逾越;猶如眼前聳立的高山,仰望山巔而渺滄海之一粟!實際說來,書法的本質來自於一般生活性的書寫。在遠古時期,或銘刻於鐘鼎之上,作為銘記;或刻於竹簡,作為載記、為文之用;又或為文人案頭上、書齋裡眉批的公文和送遞往來的奉柬書信。換言之,書法之始來自於生活,然不過因為千年的遞嬗,歷代書法大家成就卓然,終而形成了法度、形成了規矩,所以書才因此成了「法」。
為了尋求書法在當代的立足地位,許多書法家從傳統的波磔點畫的構成、媒材和技法著手,去做出琳瑯滿目的出格作法和創作模式,然而其中又有多少是真正搆得上、深入到書法骨髓裡去做出創作,便是個值得討論的議題。坦言之,許多所謂書法的創新,其套路多掌握在視覺構成上的新意變化而已,難有真正進入書法本質問題討論的藝術表達。而出身台南的「意象書法家」陳世憲所走的路子,恰恰與前述書法家全然不同;他從生長的土地出發,通過文字的構成與型態,發展出兼具造型趣味和故事性的「意象書法」。
20餘年來,陳世憲不斷地從書法的書寫表現轉向即席書寫的展演和文創品開發,全方位地試圖藉由他「意象書法」的再詮釋,結合與人們生活息息相關的吉光片羽與生命故事,去創造一種有感的當代書法。世憲新進的「字游‧書」更是將書寫行為攜至創作的現場,進行一場即席且當下的書藝對話。比如他在日本上野公園櫻花樹下書寫「櫻開放」、「青春是什麼 戀愛是什麼」和「飛雪」;在小津安二郎墳前書寫「而今」、「無」、「有」等書作。尤有甚者,陳世憲還使用了已被登錄為世界無形文化遺產的「細川紙」來做為基底材,並在「細川紙」的結構基礎上,再委請當地紙廠改良、量身製作生產「世憲紙」來做為他往後創作的主要媒材。
顯見,在「字游‧書」中,陳世憲所關心的已經不是書法的作品書寫該如何,而是試圖建構一套他「意象書法」的方法論。打個比喻來說,台灣的便利商店開啟了不只是販售物品給顧客,而是在銷售商品的同時為顧客打造一個使用該商品的環境;也就是說,販售一盒便當、一杯咖啡的同時,同樣也提供了吃便當、喝咖啡的環境。台灣的便利商店裡的商品販售,連同了它的使用環境、使用條件一併奉獻給了顧客。用這套方法論的邏輯,足以理解陳世憲最新的「字游‧書」的系列創作的價值,實是意義非凡。陳世憲用「字游‧書」來對應所有他到過的地方,他將對於當地人文、自然、風土的當下感受,融入他自己的書作中。猶如畫家們將畫具移至戶外寫生一般,寫的、畫的都不止於眼前的風景,更多的可能因為風吹、草香、日照,以及大氣中種種氣息所引發創作者當下的感覺,化顯於一幅幅書法作品中。世憲這一路,對書法領域而言,不能不謂之是一種極大的開創。
我和世憲相識近30年,一路看他從大學時代的傳統書法練習、自運,到後來在家鄉台南白河的自家豬圈改裝的書齋裡,凝煉出他書法「意象凝塑」的奮鬥歷程。20餘年來,已然戰功彪炳、成果豐碩,實是令人感佩。而今,世憲發展出最新近的、更具格局與開拓性的「字游‧書」,在為他感到欣喜之餘,更為能夠替他在這本新書付梓之前聊贅數語而感到榮幸萬分。除了對世憲「字游‧書」的閱讀方法淺擲拙見之外,同時也為世憲《字游》一書的出版聊表個人誠摯的祝賀與祝福。是為註腳。
認識世憲學長將近30年了!何等緣份呵… 從大二我為他刻一方「老實種田」的印章、他送我一件書法條幅起,自此結下了不解之緣。自巴黎返台至今,我陸陸續續策了幾檔與書寫相關的展,都找了世憲來參展,而他每每也都十分賞光、兩肋插刀地力挺到底。
我們英雄相惜,藉由數次的合作,建構出了結合東海校友和藝術戰友的具有書藝特色的書寫主義道路!昨天,他才剛剛為我寫了《玄機》二字的書藝作品;而數週前,我也才為他《字遊·書》系列作品即將出版的著作寫序!就是這麼麻吉的關係,讓我和世憲學長培養了綿密的友誼。
在此,謹貼上我為《字遊·書》所作的序文,除了為我們的友誼作註腳之外,也為我們即將開啟的日本東京策展案宣示和暖身…
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建構意象書法方法論
—為陳世憲《字遊·書》作序 李思賢(東海大學美術系所副教授)
書法之法究竟其法度的限制有多大?法度的框架有多寬?而書寫的自由度又有多高?面對傳統書法的許多深厚內涵,往往讓大眾望書法卻步、望書法興嘆。所為者何?多半就是這一個「法」的框架,讓人難以逾越;猶如眼前聳立的高山,仰望山巔而渺滄海之一粟!實際說來,書法的本質來自於一般生活性的書寫。在遠古時期,或銘刻於鐘鼎之上,作為銘記;或刻於竹簡,作為載記、為文之用;又或為文人案頭上、書齋裡眉批的公文和送遞往來的奉柬書信。換言之,書法之始來自於生活,然不過因為千年的遞嬗,歷代書法大家成就卓然,終而形成了法度、形成了規矩,所以書才因此成了「法」。
為了尋求書法在當代的立足地位,許多書法家從傳統的波磔點畫的構成、媒材和技法著手,去做出琳瑯滿目的出格作法和創作模式,然而其中又有多少是真正搆得上、深入到書法骨髓裡去做出創作,便是個值得討論的議題。坦言之,許多所謂書法的創新,其套路多掌握在視覺構成上的新意變化而已,難有真正進入書法本質問題討論的藝術表達。而出身台南的「意象書法家」陳世憲所走的路子,恰恰與前述書法家全然不同;他從生長的土地出發,通過文字的構成與型態,發展出兼具造型趣味和故事性的「意象書法」。
20餘年來,陳世憲不斷地從書法的書寫表現轉向即席書寫的展演和文創品開發,全方位地試圖藉由他「意象書法」的再詮釋,結合與人們生活息息相關的吉光片羽與生命故事,去創造一種有感的當代書法。世憲新進的「字游‧書」更是將書寫行為攜至創作的現場,進行一場即席且當下的書藝對話。比如他在日本上野公園櫻花樹下書寫「櫻開放」、「青春是什麼 戀愛是什麼」和「飛雪」;在小津安二郎墳前書寫「而今」、「無」、「有」等書作。尤有甚者,陳世憲還使用了已被登錄為世界無形文化遺產的「細川紙」來做為基底材,並在「細川紙」的結構基礎上,再委請當地紙廠改良、量身製作生產「世憲紙」來做為他往後創作的主要媒材。
顯見,在「字游‧書」中,陳世憲所關心的已經不是書法的作品書寫該如何,而是試圖建構一套他「意象書法」的方法論。打個比喻來說,台灣的便利商店開啟了不只是販售物品給顧客,而是在銷售商品的同時為顧客打造一個使用該商品的環境;也就是說,販售一盒便當、一杯咖啡的同時,同樣也提供了吃便當、喝咖啡的環境。台灣的便利商店裡的商品販售,連同了它的使用環境、使用條件一併奉獻給了顧客。用這套方法論的邏輯,足以理解陳世憲最新的「字游‧書」的系列創作的價值,實是意義非凡。陳世憲用「字游‧書」來對應所有他到過的地方,他將對於當地人文、自然、風土的當下感受,融入他自己的書作中。猶如畫家們將畫具移至戶外寫生一般,寫的、畫的都不止於眼前的風景,更多的可能因為風吹、草香、日照,以及大氣中種種氣息所引發創作者當下的感覺,化顯於一幅幅書法作品中。世憲這一路,對書法領域而言,不能不謂之是一種極大的開創。
我和世憲相識近30年,一路看他從大學時代的傳統書法練習、自運,到後來在家鄉台南白河的自家豬圈改裝的書齋裡,凝煉出他書法「意象凝塑」的奮鬥歷程。20餘年來,已然戰功彪炳、成果豐碩,實是令人感佩。而今,世憲發展出最新近的、更具格局與開拓性的「字游‧書」,在為他感到欣喜之餘,更為能夠替他在這本新書付梓之前聊贅數語而感到榮幸萬分。除了對世憲「字游‧書」的閱讀方法淺擲拙見之外,同時也為世憲《字游》一書的出版聊表個人誠摯的祝賀與祝福。是為註腳。
意象的延展——陳世憲書法文創展 (台南大學 簡月娟教授)
「意象」,即「喻意之象」,指創作者透過各種藝術型態以表現主觀情思。陳世憲,具有傳統書法根柢,卻在退伍後潛居家鄉臺南白河的豬寮,思索著審美語境的當代需求。終在計白當黑的既定形式與內容之外,發想出書法本質的另一種意象美學——具有土地與人民意象的書寫線條、色彩與內容。
書法在發展過程中與文化深層同構,不僅是文化原型之ㄧ,更是隨著大環境微調的文化符碼。自有文字起始,書法本質的形塑、傳播與轉化,隨著時代變遷而流動變化。陳世憲認為,當代書法創作者不該自我設限於墨汁宣紙與傳統詩句,理當更加關注當代人們的審美需求與在地環境,進而激盪出具有臺灣文化溫度的新意象。
臺南白河素有「蓮鄉」的美名,每逢六、七月蓮花盛開之際,外來遊客趨之若鶩,儼然蓮花嘉年華會。白河農民的觀看視角截然不同於觀光客──蓮花,是賴以生存的農作物,而景觀僅僅是農業利益外的附加價值。陳世憲選擇粉紅色的蓮花與翠綠色的蓮葉,型塑出蓮花與勞動的在地意象,化白河區域文化為書法的意象。發想之初,即獲得法國高等科學研究院學者幽蘭教授的高度肯定,於2008年獲邀前往法國印象畫廊展出,並獲得畫廊老闆與收藏家的高度讚賞。陳世憲自述其創作理念——文字的可識性已不是重點,重點是意象的表達已是作品的精華。
鮮豔對比的書法線條結合文化創意產業,是藝術家推廣在地意識的手法,可稱為「意象的延展」。2013年成立的「在人文創有限公司」,全然表達了書法與文化創意產業(Culture Creative Industries)結合的意圖。
文化創意產業乃以文化藝術為基底,輔以創意發想的產品,而書法正是深具文化意涵的一門藝術。「(陳世憲)從一開始對於書法的思索,漸漸擴大到對於台灣土地和生活在土地上的人們的思索,希望藉著書法作品文創化,將關於土地和人的故事讓更多人知道,台灣是一個很美、很有人情味的地方。」[1]其書法文創產品依分類有愛情系列、地誌書包、項鍊銀飾、創意燈具、字在椅、地誌原創T-shirt,另有香皂、手機殼、茶杯、枕頭與撲克牌等其它類生活小物。
將文字書法戲劇化的「書法劇情書」乃陳世憲首創。《愛情書》、《日出日落》與《爸爸媽媽說》三本書就是三個主題的影像書,每個主題都由五十多件作品串聯,在翻閱過程中,形成像電影似的線條情境。《日出日落》以計程車所有人阿龍晚上開車,另一位逃婚的女性阿鳳白天開為連結, 因兩人開同一輛名貴車,因而彼此約定日出與日落時分,選一個美麗的地點交接車。這本書已獲得日本「九州大學」和「久留米大學」典藏。
愛,一向是陳世憲非常關注的主題。這次展出的「愛情書雙人枕頭」(圖一),以第一本書法劇情書中「愛的親吻」這一幕的兩個愛字為雛型,分別以綠色為蓮葉意象代表男生;紅色為蓮花意象代表女生。充分表現出藝術家「為對方設想,讓需要的人感到舒適」的浪漫主義情懷。至於箇中涵意為何?還請諸位欣賞者自行思量,或可前往作者網頁「在人文創」一窺究竟。
「地誌書包」系列中的「白河國中書包」logo,取材於白河盛產的粉紅色蓮花和綠色蓮葉與蓮梗。「台南人書包」,為表達臺南是臺灣開發的起始地,將臺南的字形外框寫成臺灣的輪廓;以金黃色的線條比喻大步邁向國際,前景如鳳凰花開般的燦爛。「嘉義人書包」的「嘉」第一筆的點是阿里山日出,義的高處是竹崎,末劃是嘉義平原,人則是在東石、朴子等海邊與海上工作的漁人,印章為落日,不論用色或佈局皆見巧思。
創意燈具,乃是文字與溫度結合的一系列夜燈。「臺灣四季」的桌燈(圖二),強調臺灣的冬天縱使寂冷,卻仍然綠葉依稀,對比出孤寂僅僅是心理上的感受;透過桌燈取暖,孤寂不全然為壞。每盞夜燈透過不同的文字,訴說著不同的故事。
「真幽閑」字在椅(圖三),是全球第一組表達完整漢字字形的傢俱。陳世憲以毛筆書寫出「真幽閑」三個字(圖四),再由設計團隊完成設計稿與立體圖案,最後由具有數十年功底的的黃老師傅依照3D圖稿手工製作。成品既有實用功能,又可賞析,可舒心,頗具禪味。
自有書法以來,其格式隨著時代或地域審美需求不同而因時制宜,故北朝盛行碑刻、南朝盛行尺牘手卷,明代以降因應廳堂型制而出現六呎立軸。當代書法的書寫功能日漸式微,民眾對於書法的審美期待不再侷限於書齋,相對成就了書法藝術特質與既定框架外的實用功能,重新開啟書法內涵與實用結合的另一種新趨勢。如今,書法的型制可以是日常物品,線條可以透露出熟悉的在地情感溫度,書法形式可以深入民眾生活,書法內容可以觸動更多審美的靈魂。喻意蓮田的紅、綠色調可以感動白河人;喻意櫻花的粉紅、橘與紅之色調可以感動日本人。這就是陳世憲,兼具深度與溫度的書法文化創意作品。2017.5
[1]參見「在人文創」網頁,http://chensworkshop.weebly.com/25991211092183021697.html
「意象」,即「喻意之象」,指創作者透過各種藝術型態以表現主觀情思。陳世憲,具有傳統書法根柢,卻在退伍後潛居家鄉臺南白河的豬寮,思索著審美語境的當代需求。終在計白當黑的既定形式與內容之外,發想出書法本質的另一種意象美學——具有土地與人民意象的書寫線條、色彩與內容。
書法在發展過程中與文化深層同構,不僅是文化原型之ㄧ,更是隨著大環境微調的文化符碼。自有文字起始,書法本質的形塑、傳播與轉化,隨著時代變遷而流動變化。陳世憲認為,當代書法創作者不該自我設限於墨汁宣紙與傳統詩句,理當更加關注當代人們的審美需求與在地環境,進而激盪出具有臺灣文化溫度的新意象。
臺南白河素有「蓮鄉」的美名,每逢六、七月蓮花盛開之際,外來遊客趨之若鶩,儼然蓮花嘉年華會。白河農民的觀看視角截然不同於觀光客──蓮花,是賴以生存的農作物,而景觀僅僅是農業利益外的附加價值。陳世憲選擇粉紅色的蓮花與翠綠色的蓮葉,型塑出蓮花與勞動的在地意象,化白河區域文化為書法的意象。發想之初,即獲得法國高等科學研究院學者幽蘭教授的高度肯定,於2008年獲邀前往法國印象畫廊展出,並獲得畫廊老闆與收藏家的高度讚賞。陳世憲自述其創作理念——文字的可識性已不是重點,重點是意象的表達已是作品的精華。
鮮豔對比的書法線條結合文化創意產業,是藝術家推廣在地意識的手法,可稱為「意象的延展」。2013年成立的「在人文創有限公司」,全然表達了書法與文化創意產業(Culture Creative Industries)結合的意圖。
文化創意產業乃以文化藝術為基底,輔以創意發想的產品,而書法正是深具文化意涵的一門藝術。「(陳世憲)從一開始對於書法的思索,漸漸擴大到對於台灣土地和生活在土地上的人們的思索,希望藉著書法作品文創化,將關於土地和人的故事讓更多人知道,台灣是一個很美、很有人情味的地方。」[1]其書法文創產品依分類有愛情系列、地誌書包、項鍊銀飾、創意燈具、字在椅、地誌原創T-shirt,另有香皂、手機殼、茶杯、枕頭與撲克牌等其它類生活小物。
將文字書法戲劇化的「書法劇情書」乃陳世憲首創。《愛情書》、《日出日落》與《爸爸媽媽說》三本書就是三個主題的影像書,每個主題都由五十多件作品串聯,在翻閱過程中,形成像電影似的線條情境。《日出日落》以計程車所有人阿龍晚上開車,另一位逃婚的女性阿鳳白天開為連結, 因兩人開同一輛名貴車,因而彼此約定日出與日落時分,選一個美麗的地點交接車。這本書已獲得日本「九州大學」和「久留米大學」典藏。
愛,一向是陳世憲非常關注的主題。這次展出的「愛情書雙人枕頭」(圖一),以第一本書法劇情書中「愛的親吻」這一幕的兩個愛字為雛型,分別以綠色為蓮葉意象代表男生;紅色為蓮花意象代表女生。充分表現出藝術家「為對方設想,讓需要的人感到舒適」的浪漫主義情懷。至於箇中涵意為何?還請諸位欣賞者自行思量,或可前往作者網頁「在人文創」一窺究竟。
「地誌書包」系列中的「白河國中書包」logo,取材於白河盛產的粉紅色蓮花和綠色蓮葉與蓮梗。「台南人書包」,為表達臺南是臺灣開發的起始地,將臺南的字形外框寫成臺灣的輪廓;以金黃色的線條比喻大步邁向國際,前景如鳳凰花開般的燦爛。「嘉義人書包」的「嘉」第一筆的點是阿里山日出,義的高處是竹崎,末劃是嘉義平原,人則是在東石、朴子等海邊與海上工作的漁人,印章為落日,不論用色或佈局皆見巧思。
創意燈具,乃是文字與溫度結合的一系列夜燈。「臺灣四季」的桌燈(圖二),強調臺灣的冬天縱使寂冷,卻仍然綠葉依稀,對比出孤寂僅僅是心理上的感受;透過桌燈取暖,孤寂不全然為壞。每盞夜燈透過不同的文字,訴說著不同的故事。
「真幽閑」字在椅(圖三),是全球第一組表達完整漢字字形的傢俱。陳世憲以毛筆書寫出「真幽閑」三個字(圖四),再由設計團隊完成設計稿與立體圖案,最後由具有數十年功底的的黃老師傅依照3D圖稿手工製作。成品既有實用功能,又可賞析,可舒心,頗具禪味。
自有書法以來,其格式隨著時代或地域審美需求不同而因時制宜,故北朝盛行碑刻、南朝盛行尺牘手卷,明代以降因應廳堂型制而出現六呎立軸。當代書法的書寫功能日漸式微,民眾對於書法的審美期待不再侷限於書齋,相對成就了書法藝術特質與既定框架外的實用功能,重新開啟書法內涵與實用結合的另一種新趨勢。如今,書法的型制可以是日常物品,線條可以透露出熟悉的在地情感溫度,書法形式可以深入民眾生活,書法內容可以觸動更多審美的靈魂。喻意蓮田的紅、綠色調可以感動白河人;喻意櫻花的粉紅、橘與紅之色調可以感動日本人。這就是陳世憲,兼具深度與溫度的書法文化創意作品。2017.5
[1]參見「在人文創」網頁,http://chensworkshop.weebly.com/25991211092183021697.html
王昭文老師: 第一次親眼看到陳世憲揮毫的場面,非常有力,一氣呵成。配合著「發光的靈魂」的歌聲,他寫的是柯柏榮在某次申請假釋不成寫下的詩句:「民主/我毋捌/自由/毋捌我」(民主,我不認識;自由,不認識我)。寫完四個大字之後寫小字,然後,大家發現民主的主、自由的自,都少了一點。陳世憲說,不是少一點,是少很多很多。他換了一支沾了亮橘色顏料的筆,站得遠遠地,然後用力把筆拋擲出去,如此兩趟,補上了金色的一大點,也甩上許多金色小點。非常有力的行動藝術。詩與書法與行動的結合。【9/9下午在台南市神農街黑蝸牛工作室,詩人柯柏榮談《內籬仔的火金姑》。柯柏榮1998年因案入獄,2003年開始台語文學創作,2009年假釋出獄,曾獲得10餘座文學獎。「受關的形體,受屈辱的心靈,摩出利利的觀感」王貞文在《內籬仔的火金姑》這本書的推薦序中這樣形容柯柏榮。《內籬仔的火金姑》這本詩集主要是描述監獄的狀況,柯柏榮要以他自身的經驗來分享監獄教化與更生的重要。座談的同時也邀請到知名書法家陳世憲老師現場用書法書寫柯柏榮所作有關監獄和死刑的詩。座談會場地黑蝸牛同時也展出日裔美籍攝影家Toshi Kazama所拍攝台灣死刑主題的照片七幅。這場座談由台權會副會長邱毓斌主持。】2012.台南
那年清風那年荷-鄭頻(琹涵)
接到世憲的贈書《荷年荷月》,美麗極了,寫的是荷花歲月和他的心情。
他在書的扉頁上寫著「這是我的白河,也是,您的白河」,是的,我們相逢於白河,他曾經是我課堂上的學生。
給他打了一個電話,如今的世憲以書法而聲名顯著。我們也已經多年不見了,竟不知他已結婚,娶了學古典音樂的維真,她曾在美國受過很長的教育。這樣的結合也有趣,東方遇見西方,書法融合音樂。他們還有了一個可愛的女兒。
談到他的書,我開玩笑的跟他說:「我和你的芬伶老師都沒有這麼漂亮的書呢。」世憲後來讀了東海中文,列於芬伶門牆,而我和芬伶相熟,也都寫了不少書。
和世憲談的最多的是白河。那是他的故鄉,也是我的文學原鄉。
世憲非常早就決定走書法的路,比起許多人還一路跌跌撞撞、摸索著自己的前途時,他的及早確定方向,或許是值得慶幸的事。然而,藝術的路都太艱辛了,書法藝術尤其冷門,投身其中,需要有過人的勇氣和毅力。作為他昔日的師長,我不免有幾分憂心。東海畢業以後,他回白河,寧可過儉樸的生活,日日潛心於書法藝術的探索和研究。他散步沉思,閱讀實驗,他走一條創意的路,披荊斬棘,艱苦備嘗,即使是在零落的掌聲中,依然執意前行。
他太努力了,七年以後,開始有人收藏他的作品,生活才見好轉。以後也就峰迴路轉,走上了坦途。他一直希望,書法的藝術應該可以打破國界種族的藩籬,即使是不懂得華文的,也可以藉由線條的流動,而讀懂其間的喜怒哀樂。二十年來,他的苦心沒有白費,許多國家邀請他前往展覽和演講,並且也著手研究屬於他的書法語言及表情。他的足跡遍及世界各處,包括美日,甚至法國的巴黎和里昂。
他從故鄉出發,以步履來丈量對白河的愛,他寫字畫荷,宣揚了書法藝術的美,也和世人分享他的感動和成果。……
我們談陳年往事,也談白河種種,他說:「老師,我常在演講裡提到,您給了我文學啟蒙。」這,我只承認,我們在課堂上曾經有過快樂的時光,如此而已。
他又說:「我還跟維真說,老師上我們的歷史課,快快的畫好重點,然後說,『那,我們今天談王禎和』,連維真都覺得,這樣的老師很不可思議……」啊?我在二十多年前的課堂上,跟十四歲的他們談王禎和的小說?還真是勇氣百倍呢。即使他們未必理解多少,但至少是播下了文學的種子。
如今想來,我感激上天的成全。顯然當年,我另有文學讀本,替代了學校給予的歷史課程。是因為他們夠優秀,讓我有恃無恐?還是我太幸運了,居然沒有家長告狀,讓我備受韃罰?
我喜歡他在《荷年荷月》中的一段文字:「有時候我用白河的河水漂流的動線成為畫圖中的墨水,有時候我用山上的雲變成蓮葉的風吹,有時候我用朝陽的日出表示焰紅的蓮花,這些都是白河的蓮花,印記在我內心的款款深情……」文學的素養和對這塊土地的熱愛,讓他的書法藝術可以有生命和活力,而不是在空中建立樓閣,在沙地上築起城堡。
白河,是我們共同的記憶。感謝那段相處的美麗時光,我永遠記得,那年清風那年荷。
970924
他在書的扉頁上寫著「這是我的白河,也是,您的白河」,是的,我們相逢於白河,他曾經是我課堂上的學生。
給他打了一個電話,如今的世憲以書法而聲名顯著。我們也已經多年不見了,竟不知他已結婚,娶了學古典音樂的維真,她曾在美國受過很長的教育。這樣的結合也有趣,東方遇見西方,書法融合音樂。他們還有了一個可愛的女兒。
談到他的書,我開玩笑的跟他說:「我和你的芬伶老師都沒有這麼漂亮的書呢。」世憲後來讀了東海中文,列於芬伶門牆,而我和芬伶相熟,也都寫了不少書。
和世憲談的最多的是白河。那是他的故鄉,也是我的文學原鄉。
世憲非常早就決定走書法的路,比起許多人還一路跌跌撞撞、摸索著自己的前途時,他的及早確定方向,或許是值得慶幸的事。然而,藝術的路都太艱辛了,書法藝術尤其冷門,投身其中,需要有過人的勇氣和毅力。作為他昔日的師長,我不免有幾分憂心。東海畢業以後,他回白河,寧可過儉樸的生活,日日潛心於書法藝術的探索和研究。他散步沉思,閱讀實驗,他走一條創意的路,披荊斬棘,艱苦備嘗,即使是在零落的掌聲中,依然執意前行。
他太努力了,七年以後,開始有人收藏他的作品,生活才見好轉。以後也就峰迴路轉,走上了坦途。他一直希望,書法的藝術應該可以打破國界種族的藩籬,即使是不懂得華文的,也可以藉由線條的流動,而讀懂其間的喜怒哀樂。二十年來,他的苦心沒有白費,許多國家邀請他前往展覽和演講,並且也著手研究屬於他的書法語言及表情。他的足跡遍及世界各處,包括美日,甚至法國的巴黎和里昂。
他從故鄉出發,以步履來丈量對白河的愛,他寫字畫荷,宣揚了書法藝術的美,也和世人分享他的感動和成果。……
我們談陳年往事,也談白河種種,他說:「老師,我常在演講裡提到,您給了我文學啟蒙。」這,我只承認,我們在課堂上曾經有過快樂的時光,如此而已。
他又說:「我還跟維真說,老師上我們的歷史課,快快的畫好重點,然後說,『那,我們今天談王禎和』,連維真都覺得,這樣的老師很不可思議……」啊?我在二十多年前的課堂上,跟十四歲的他們談王禎和的小說?還真是勇氣百倍呢。即使他們未必理解多少,但至少是播下了文學的種子。
如今想來,我感激上天的成全。顯然當年,我另有文學讀本,替代了學校給予的歷史課程。是因為他們夠優秀,讓我有恃無恐?還是我太幸運了,居然沒有家長告狀,讓我備受韃罰?
我喜歡他在《荷年荷月》中的一段文字:「有時候我用白河的河水漂流的動線成為畫圖中的墨水,有時候我用山上的雲變成蓮葉的風吹,有時候我用朝陽的日出表示焰紅的蓮花,這些都是白河的蓮花,印記在我內心的款款深情……」文學的素養和對這塊土地的熱愛,讓他的書法藝術可以有生命和活力,而不是在空中建立樓閣,在沙地上築起城堡。
白河,是我們共同的記憶。感謝那段相處的美麗時光,我永遠記得,那年清風那年荷。
970924
美姿佐藤:今年2月在東京代代木體育競技 ,6月在川崎市市立美術館,陳大師揮毫時,我在旁的經驗之談。那個手勢,那個節奏與神情,…,我明白了,大師已經入魂了。想必是日本的燒酒「魔界」的助力,最能“起堂”(台語)吧?(2014.12.)Jia-wei Tsai攝影.
樹德科技大學楊秀宮教授
文化創意作品的「創意本源」初探-從陳世憲先生的作品談文化創意產業的努力方向
摘要本文作者屬於人文學術領域的研究者,在文化作品內涵與產業的聯結上樂觀其成。但視文化作品乃產業的第一序之考量。因為有良好的文化創作品才有意義深遠而且具備經濟價值的產業。有鑒於文化創意作品的優先性,本文針對「文化創意產業」的「創意本源」作一探討,並舉用 陳世憲 先生的文化創意作品、產品作例子加以說明。擬從文化作品裡解讀「創意」的價值、文化產業的努力方向,以及應有的省思。
一、文化創意產業的願景:國內對於文化創意產業的定義,係參酌各國對文化產業或創意產業的定義,以及台灣產業發展的特殊性,將其定義為:「文化創意產業係指源自創意或文化積累,透過智慧財產的形成運用,具有創造財富與就業機會潛力,並促進整體生活環境提升的行業。」
由於文化的定義廣泛,加上創意可以運用在任何的科技、技術之上,使得文化創意產業的範疇與定義相對模糊。目前以英國政府的創意產業發展,為國際上產業別架構最完整的文化政策。定義創意產業CI(Creative Industry)的過程困難重重。想了解文化創意產業可以先對下列二點說明作初步把握
1.創意產業CI(Creative Industry)即起源於個體創意、技巧及才能的產業,通過知識產權的生成與利用,而有潛力創造財富和就業機會。」其中將創意工業分成十三類:廣告、建築、藝術及古董市場、工藝、設計、流行設計與時尚、電影與錄影帶、休閒軟體遊戲、音樂、表演藝術、出版、軟體與電腦服務業、電視與廣播。[2]
2.『文化產業』(cultural industries)適用於,『那些以無形、文化為本質的內容,經過創造、生產與商品化結合的產業』。這些內容典型地是被著作權保障著,並且可以採用產品或者服務形式來表現。文化產業或可被視為『創意產業』(creative industries)。一般認為『文化產業』有:印刷、出版、多媒體、聽覺與視覺、攝影與電影生產,亦等同於工藝與設計。對某些國家來說,也包括建築、視覺與表演藝術、運動、音樂器具的製造、廣告與文化觀光等在內。[3]
今日處於全球化浪潮衝擊的境況,各國正努力呈現本土特色,台灣自然亦以此為努力方向。如何開發台灣人本土的、文化創意點子?這就是一個涉及地方文化藝術生命力的課題。尤其在技術高度發展而製造業幾乎完全依賴機器的這個世代,人們如何將文化生命延續,以及如何彰顯人文藝術精神與特色就顯得特別珍貴了。
台灣曾經歷過在經濟的發展的優勢,於今隨著第三地區人力投入製造業的影響,台灣原本依賴人力優勢的經濟實力已經呈現衰退現象。衡諸今日全球化的事實與缺失,台灣所面臨的是缺乏特色商品競爭優勢的危機,不得不尋找另一條出路。而整合台灣的智慧與文化魅力,結合美學與新的創意,在產品發展的同時照顧社會大眾的生活品質,才是台灣許多產業煥發新生機、新潛能與新商機的關鍵策略。換言之,臺灣長期以發展高科技產業及大型製造業為主,對於文化藝術相關產業的輔導、非營利事業環境的建構與藝文生態的策進等,均極少被視為扶植產業或國家重點發展方向。此次文化創意產業的目的,即在整合地方智慧與文化藝術生命力,將其應用於產業發展以因應全球化之挑戰。[4]
目前許多國家莫不亟思藉由藝術創作與商業機制,將自身的文化特色彰顯與發揚,藉以增強人民的文化認同與產業的附加價值。文化創意產業計畫是台灣面對全球化潮流時,將最具水準的文化藝術創作,利用科技技術生產出具創意的文化產品,然後以分眾式、多樣化的行銷方法,建構一種新經濟型態,以凸顯台灣的國際文化形象。在這一波世紀挑戰中,我們希望掌握在地的文化特色,展現包容度與創造力,推動東西方的交流,創造亞太地區的創意平台。期待未來,在地球上的每個角落,都能運用「創意」思考生活、用美學素養來豐富生活品質,共同建構美好與和平的創意世紀。[5]
「文化創意產業」是一個時代產物,經由提昇文化、結合創意、推行產業概念所產出的文化經濟價值,除了可以提昇生活品質、強化生活美學的涵養,亦有助於打響台灣在國際的知名度。「文化創意產業」釋放一個契機,它作為傳統與現代文化的接榫外,更是文化、教育與經濟各個領域攜手合作共創未來的重要點子。
近年來,「文化創意產業」被強調出來。賴聲川說,「文化創意產業」變成很流行的行業,但事實上我們必須看清楚:「創意產業」必須依賴「創意」才能成立;「創意」又必須依賴「文化」才能茁壯。[6]
二、何謂「文化」:文化的領域寬廣,世界文化可以從各種主義、各種潮流來審思,而在地的文化往往就是生活的表現。也許從我們的週遭就可以察識到自我們祖先以至於今日所發生的文物、禮儀、習俗、生活方式、民間藝術、俚語等等。
化是集眾人的智慧與經驗經過長期累積而有的物質與精神的成果的總和。文化為所有身處其中的人們所共享,文化並沒有特定的形象或規格,它不僅是過去歷史裡的產物,更擁有開放而未定型的可變性因素與條件。換句話說,文化不只是歷史的,也是建構的。
文化的建構一方面難以免其傳承的質性,一方面則可能包融有異文化的滲透。不論文化的形成是保守而穩健的型態,還是多元溶合的價值,將文化妥善保存與發展是兩個不同的照顧面,但隸屬於一件事。換言之,就是既要「繼往」還要「開來」。吾人除了留意莫要輕忽這樣的重責大任之外,對於「文化」的今日開展還需注意什麼?
科技與經濟的發展以及人們對於生活的便利性需索,已經形成一種科技的全球化事實,科技化原本有其不可抵擋的力量,卻也衝擊到文化的原有面貌。各方人士為了避免失卻自身文化的特色,正努力於思索文化的未來發展。
與大眾息息相關的文化指的是生活方式與價值觀,而生活當中又包含各種族群差異、性別差異、階級差異所帶來的文化差異。科技進步加上各種傳遞訊息的管道大開,文化交流的頻率與文化的豐富程度已經是難以估算數值了。
如何將自身文化加以保存並發揚到社會的各個角落?針對這樣的問題,「文化創意產業」應聲而出。賴聲川曾說,在創意產業中,沒有比「原始創意產品」更重要的東西。創意無價,創意本身就能創造出巨大的經濟價值。[7]文化產品,且需是包含「創意」的文化產品,才是產業所不可輕忽的重要內涵。
三、何謂「創意」:什麼叫做創意?創意是外在的什麼東西嗎?是等待人們去攝取、捕獲的外在對象嗎?或著相反於此,創意實際上並不是材料性的東西,也不是知覺把握的對象?創意雖然需要從外在的物件來認定其是否呈現,但是卻不能因此而認為創意是物件的本質。不可否認的,物件的本來樣貌乃是「材料」,它變成「成品」的過程裡才是我們探知「創意」的重要關鍵。是一種設計或設想才讓「材料」有所改造或變化,也因為有了「變化」才有「創意」的出現。創意作品的特徵如何?創意嚴格說來是不可界定的,所以由創意而完成的作品無法給出標準也是預期中的事。如果我們可以對創意作品作最少的界說,那就是如賴聲川所說的:
「不可測量的元素」指的是創意的神秘泉源,……最後的成品,又成為一種有機、完整、「不可測量」的東西。如果最後觀眾很容易就可以「測量」作品,這就不是一個很好的作品。[8]
而接著我們就不難發現,原來不能離開物件而發現的「創意」是人們在物件從材料變成成品的過程中,由人的巧思所賦予的。如果「創意」的出現乃是由人而不由物出的觀點,我們所要探問的有關「創意」的本源問題就轉向「人」的能力或觀點上了。但是如果因此而認為探尋「創意的本源」就是一種人的「內在秉性」的追問,則又可能陷於一種「后現代的」、無標準的紛擾不確定。「只要我喜歡有什麼不可以」是一種任憑個人感覺與喜好的解構狀態,或著說那其實是一種「失序」或「迷失」。針對這樣一個疑惑,自然有必要更向本源處探索,而已經被尋獲的一個觀點則是:
我們每一個人內心深處似乎都具有一個個人創意泉源。同時,存在一種更廣大、超越個人、屬於全人類的共同泉源,裡面儲存著各種原始、深奧的集體智慧。這個龐大泉源或許在我們體內,或許我們有管道可以通到它。[9]
「人類的共同泉源」指的是什麼?首先我們自然需要先從自身容易把握的,具有內心深處涵義的「創意」來思索。有些人認為創意是一種能力,但卻不可教導。經過教導而學習的能力是一種傳承,或是一種模仿;另外一種見解則認為創意是一種「揭露」。賴聲川曾經這麼說過:
「創意的原始能量不是被培養出來的一個特質,而是等待被發覺的本能,等待被揭露的能量。」[10]
若創意是「等待被揭露的能量」而不是「被培養」的,那麼也就是同意「存在一種更廣大、超越個人、屬於全人類的共同泉源」的觀點。而這個創意的泉源並沒有國界之分,也不隸屬於任何一個文化體系。這是我們談論「文化創意作品」時所必須先釐清的地方。「創意」的涵義既有了這個無國界之分的界定,當它結合於不同民族、不同區域「文化」時,就能發揮其既是「本土化」的、也是「全球性」的義蘊。
四、探索創意的本源:「創意的本源」是一種與「個人內在」相通但又「超越個人」的共同泉源?如何論證這個觀點?既然文化創意產業的內涵不外乎人文與經濟的結合,那麼筆者在這裡選擇從中西方觀點對於「文化藝術」的創意詮釋,論證「創意的本源」乃超越個人的「全人類的共同泉源」。
首先以中國文化藝術為例說明。純綷的文學或藝術之意識,在中國社會的出現,是有其特殊的環境背景。與藝術相關的理論依據,主要不是道德儒教的理論,而是老莊的思想。依據徐復觀之見解,魏晉以來的藝術有一部分乃是經過莊學思想而發展的。他說:「正始名士,在思想上係以《老子》為主而傳以《易》義;這是思辨地玄學;乃由繁瑣地經學的反動而來。……在這種性情中,都含有藝術的性格。……到了元康名士(即中朝名士),則性情地玄學已經在門第的小天地中浮薄化了,演變而成為生活情調地玄學。這種玄學,只極力在語言儀態上求其合於「玄」的意味,實即求其合於藝術形態的意味,於是玄學完全成為生活藝術化的活動了。」[11]
「靜而聖,動而王,無為也而尊,樸素而天下莫能與之爭美。」[12]
「昔者舜問於堯曰:天王之用心何如,堯曰,吾不敖無告,不廢窮民,苦死者,嘉孺子而哀婦人,此吾所以用心已。舜曰,美則美矣,而未大也。堯曰,然則何如,舜曰,天德而出寧,日月照而四時行。若晝夜之有經,雲行而雨施矣。堯曰,膠膠擾擾乎。子,天之合也;我,人之合也。夫天地者,古之所大也,而黃帝堯舜之所共美也。」[13]
在莊子順應自然的思想裡,樸素與自然,在天地之間即為美,並非對人為之作品而稱的。莊子強調「聖人」不事不為,體天道之自然,觀天地之運行,而能晉此「大美」之妙境。就聖人言,則含有美感經驗在內,就整體意境之生發展現言,則屬於藝術之境界。只是此藝術境界中之大作,非人之造作,乃天地之自然。從上述兩段引文看來,可以推證莊子理想中的「美」乃源於自然、天地,是人類共同可以體驗之美,而聖人先得於我心罷了。
中國古代文人對於藝術的追求呈現的是一種對於「藝術精神」的講究,亦即是一種從「主體」而通達於「天地」的「美」地觀照。這樣的見解實際上可以類比於前文所論述的「創意」出自一個超越個人而屬於全人類共同的本源。
本海德格於其<<藝術作品的夲源>>一著作中,一方面汲汲于要克服西方傳統藝術理論中那種囿于「質料-形式」之區分的立場;另一方面則力圖緊扣「存有之真理」(a-letheia)來重新闡明「藝術之夲質」。而依海德格、存有之真理是一同時「開敞」(unconcealment/ Unverborgenheit) 和「遮蔽」(concealment/ Verbergung)之双重運動。換言之,「藝術就是一真理之生成和發生。」[14]
上引東西方的學者對於「藝術」的超出「美」而聯結於「真理」的見解,幫助了吾人洞悉藝術或創意的本源是人類共通的超越區域性的「天地之大美」、「存有之開敞」。兩方觀點的共通處還可以從「虛、實」與「敞、蔽」的關聯處互相照映。原因在於強調「虛實相涵」的中國藝術精神,不但於結構上與海德格義之「真理」相通,而且在美感经驗之層次上可為海德格之緊扣「真理」之「開敞」和「遮蔽」的双重運動以論藝術作品之夲質的進路提供具體的明證。[15]
海德格用「真理」來說明藝術創作的本質,這種觀點並不是他作為一個哲學家所獨特的見解。類似於此見解的大有人在,只是它們各自採用不同的方式在努力傳達這樣的真理或藝術。賴聲川如是說:
在文學和藝術的創作中,誰執著於原創性就不可能作出具原創性的作品。反過來說,只要你單純地努力說出真理(一點都不在乎被說過多少次),你十次之中會有九次具原創性而不自知。[16]
這種用「真理」來通達於藝術的創意本源的觀點,似乎還需要更多的說解,可是如果繼續於文字的說明,恐怕是離開原意只會更遠、令人更難理解了。故舉實例作說明如后。
五、「文化創意作品」的「創意」表現:以陳世憲畫作為例陳世憲 先生的作品主要以意象書法作為核心,表現為繪畫的型態。他的作品主要以地方本土文化與地理環境為題材,結合書法文化、繪畫藝術、和生活經驗。 陳世憲 先生(1967-)畢業於東海大學 中文學系,虔心於書法寫作。畢業之後以文化工作的發揚為志業,並未投身於一般的求職工作。他在台南縣白河鎮設立一「忘齋」工作室,平時除了揮灑筆墨、思索生命意義外,對於白河鎮的地方文化與觀光前景亦多所關心。 陳世憲 先生是一位既能將固有的文化、藝術加以現代化,將生活深化成對生命的體認後戮力以文化創意為志業者。他還是一位能思索文化與經濟如何相結合而相得益彰的文化創意產品的工作者。換言之,他對於地方的關懷與他在書法藝術方面的創意,早已經讓他的文化工作呈現了創意產業的雛型。
陳世憲先生的作品結合了地理景緻,以及對週遭人物的關懷進行作品創作。他從生活中擷取素材並經由深度思索與生命體驗而繪製的作品,是一種涵具高妙哲理的創作藝術。尤其特別的是,陳世憲的作品並不像西方之藝術作品強調外在欣賞的美感效益。觀賞者經由其作品的表現,從中能得出豐富的意義,因此作品觀後所獲得的不僅是「美」的經驗,更是「真」的理解。陳先生除了書法藝術作品與相關文化之創意產品外,他還發揮他在書法藝術方面的造詣,出版了三本凸顯土地情感、地方特色,以及融合他的生活經驗的文化出版品:《非草草了事--陳世憲書法新意象》、《荷年荷月--陳世憲蓮花新意象》、《愛情書》。
在此試就幾幅陳世憲先生應邀於樹德科技大學產出的作品加以賞析,筆著觀看其作品後曾經探問:作品何以有「道」的氣魄?作品裡是否有「存在哲學」的氛圍?後文有關陳世憲先生之作,除了於圖表下標示作品原有的解說外,「筆者按」的部分乃是本文作者對於作品的詮釋或說明。
[1] 參見文建會網頁http://web.cca.gov.tw/creative/page/main_02.htm。
[2] 參見文建會網頁http://web.cca.gov.tw/creative/page/main_02.htm
[3] 同前註。
[4] 同前註。
[5]參見文建會網頁http://web.cca.gov.tw/creative/page/page_01.htm
[6]賴聲川(2006):《賴聲川的創意學》。台北市:天下雜誌,頁342。
[7] 賴聲川(2006):《賴聲川的創意學》。台北市:天下雜誌,頁344。
[8] 同前註,頁97。
[9] 同前註,頁104。
[10] 同前註,頁107。
[11] 徐復觀(1992):《中國藝術精神》。台北市:學生書局,頁151-2。
[12] 《莊子.天道》
[13] 《莊子.天道》
[14]陳榮灼(2004):〈唐君毅「中國藝術精神論」之現象涵義〉,《中國現象學與哲學評論‧第六輯》。上海市:譯文出版社,頁32、34。
[15]陳榮灼(2004):〈唐君毅「中國藝術精神論」之現象涵義〉,《中國現象學與哲學評論‧第六輯》。上海市:譯文出版社,頁35。
[16]賴聲川(2006):《賴聲川的創意學》。台北市:天下雜誌,頁335。
離開故鄉那一暝,寬茫茫的海水,
被月亮照到,親像無回頭路同款啊! (記許昭榮先生)
筆者按:夜晚的大海上月光飄動,直到瞥見那閃爍著亮光的空白,筆者才恍然於「虛實相涵」的精義。
黑夜中的森林,寂靜的聽到各種聲音,
是內心無法言語的表達
筆者按:看到這裡是森林小徑的話,你難免自覺孤單、渺小還有一絲畏懼心情,但是有人並不是找到小徑,而是擁有一片森林。如果你能在此圖畫中出入自如那你的世界會有多寬廣呢!你又會收穫到什麼呢!
有有有 咁真正有
筆者按:對「有」的看重,仍需承受無所逃於「有」的變化。終極變化後「有」還是「有」嗎?「有」與「真正有」有沒有差別?畫中表現出「虛、實」的變化圖五:無無無 咁真正無
筆者按:「無」從「有」的對立面來思考嗎?那麼「無」是什麼?「無」與「真正無」有沒有差別?「虛」說的「無」和「實」說的「有」關係如何?
筆者按:走出黑色的鬱鬱蒼蒼的森林後,「無」和「有」的關係隨著人而有另一番意境否?
英挺之荷
筆者按:鄉土特色、現代繪畫與傳統書法相結合。有「力」的表現,也有「動」、「靜」相倚的特色。
老鷹與蛇
筆者按:兩強相對?展現招式武功?觀鳥獸之文通物類之情?
飛行
筆者按:是「飛行」的字跡,也是飛舞的軌跡,有螢火蟲拍翅的聲響,也有移情後的自由寬廣。
雲亂飛
筆者按:是雲的結構!也是「時間」的結構?書畫家所把握的「時間」與哲學家論說的「時間」有什麼同異?
融入創意的文化產業作品--夜燈
產品介紹:1.用兩個喜字形成一個婚禮祝福的構面,裡面含藏著「乾坤合轉」的道賀。四個構面字型有別的「囍」表達對形形色色不同型態的新人們深深的祝福。
2.白河的蓮花變化成夜燈,燈亮了宛如蓮花開了。這是從白河土地產生的文化產品。
3.「無無無 咁真正無」變成了四方型燈飾,從各面向提醒著人們對解脫於「有」,可以入於清靜之「無」。
融入創意的文化產業作品--午覺枕、夜燈
產品介紹:1.吉貝耍部落的木棉花午覺枕。(吉貝耍其意為「滿是木棉花的部落」)
2.追浪者夜燈。大海上的追浪者,船槳忙於海中翻騰,夜晚燈亮正是飛魚豐沛收穫之時。
融入創意的文化產業作品--各式生活產品
產品介紹:天然香皂(有台灣造型與書法字體的香皂),用書法繪製的撲克牌、筆枕、書鎮、文人墨客小茶杯、蓮花蓋碗。
六、結語:文化結合生活,生活創造新的文化內涵,這似乎是不言而喻的事實,但是因著科技的發展,生活裡充斥著的經常是新進才竄出的材質與便利性產品,人們生活在新穎的、充滿感官刺激的環境裡,早已經遺忘前人苦心創造的優質文化與藝術作品。與傳統文化的疏離,與科技產品的聯結是現代人的生活寫照。這種充斥著科技的產品的生活內涵所產生的人類,會有什麼特徵?充滿物質性的享受但缺乏精神層面的撫慰?我們的社會將會充滿穿著美麗華服但內心空虛的軀殼?如果經濟是現階段不可忽視的課題,那麼在高經濟效益的呼籲下我們如何兼顧人們的心靈養護?我們又如何傳承文化的理想成分?文化創意產業產業的出現不是憑空臆想,乃是今日高科技發展以及高經濟效益講究下的一種省思。目前已經受到有識之士的重視,各種與文化結合的產業也日漸展露,但是這當中猶須各項人力的結合、各種專業的結合。文化創意產業的興起,從時間上論則是處在一個「覺醒」但尚待開發的時段。可以有很多的想法、很多的嘗試,當然也需要很多的鼓勵,文化的延續是不停頓的,但是文化的品質卻是需要苦心經營的。
筆者相信一個具有創意內蘊的作品能讓人從「見山是山,見水是水」進入「見山不是山,見水不是水」的意境,又能在出神入定之際返轉於「見山又是山,見水又是水」的境界,這種感受出現於觀賞作品之後,這要如何解說其奧妙呢?這和海德格緊扣「存有之真理」來闡明「藝術之夲質」,而強調存有之真理是一同時「開敞」和「遮蔽」之双重運動實有相同的理趣。
由於經過生活經驗的揉合,以及有關生命的深度思索,所有豐富的內涵就在陳世憲老師結合書法媒材與現代藝術思潮的創意整合。作為一個觀賞者,面對著充滿創意與生命力的藝術作品,我才真正體會到,一種屬於詮釋角度的「理解」對藝術作品以及對詮釋者自身的意義。
一、文化創意產業的願景:國內對於文化創意產業的定義,係參酌各國對文化產業或創意產業的定義,以及台灣產業發展的特殊性,將其定義為:「文化創意產業係指源自創意或文化積累,透過智慧財產的形成運用,具有創造財富與就業機會潛力,並促進整體生活環境提升的行業。」
由於文化的定義廣泛,加上創意可以運用在任何的科技、技術之上,使得文化創意產業的範疇與定義相對模糊。目前以英國政府的創意產業發展,為國際上產業別架構最完整的文化政策。定義創意產業CI(Creative Industry)的過程困難重重。想了解文化創意產業可以先對下列二點說明作初步把握
1.創意產業CI(Creative Industry)即起源於個體創意、技巧及才能的產業,通過知識產權的生成與利用,而有潛力創造財富和就業機會。」其中將創意工業分成十三類:廣告、建築、藝術及古董市場、工藝、設計、流行設計與時尚、電影與錄影帶、休閒軟體遊戲、音樂、表演藝術、出版、軟體與電腦服務業、電視與廣播。[2]
2.『文化產業』(cultural industries)適用於,『那些以無形、文化為本質的內容,經過創造、生產與商品化結合的產業』。這些內容典型地是被著作權保障著,並且可以採用產品或者服務形式來表現。文化產業或可被視為『創意產業』(creative industries)。一般認為『文化產業』有:印刷、出版、多媒體、聽覺與視覺、攝影與電影生產,亦等同於工藝與設計。對某些國家來說,也包括建築、視覺與表演藝術、運動、音樂器具的製造、廣告與文化觀光等在內。[3]
今日處於全球化浪潮衝擊的境況,各國正努力呈現本土特色,台灣自然亦以此為努力方向。如何開發台灣人本土的、文化創意點子?這就是一個涉及地方文化藝術生命力的課題。尤其在技術高度發展而製造業幾乎完全依賴機器的這個世代,人們如何將文化生命延續,以及如何彰顯人文藝術精神與特色就顯得特別珍貴了。
台灣曾經歷過在經濟的發展的優勢,於今隨著第三地區人力投入製造業的影響,台灣原本依賴人力優勢的經濟實力已經呈現衰退現象。衡諸今日全球化的事實與缺失,台灣所面臨的是缺乏特色商品競爭優勢的危機,不得不尋找另一條出路。而整合台灣的智慧與文化魅力,結合美學與新的創意,在產品發展的同時照顧社會大眾的生活品質,才是台灣許多產業煥發新生機、新潛能與新商機的關鍵策略。換言之,臺灣長期以發展高科技產業及大型製造業為主,對於文化藝術相關產業的輔導、非營利事業環境的建構與藝文生態的策進等,均極少被視為扶植產業或國家重點發展方向。此次文化創意產業的目的,即在整合地方智慧與文化藝術生命力,將其應用於產業發展以因應全球化之挑戰。[4]
目前許多國家莫不亟思藉由藝術創作與商業機制,將自身的文化特色彰顯與發揚,藉以增強人民的文化認同與產業的附加價值。文化創意產業計畫是台灣面對全球化潮流時,將最具水準的文化藝術創作,利用科技技術生產出具創意的文化產品,然後以分眾式、多樣化的行銷方法,建構一種新經濟型態,以凸顯台灣的國際文化形象。在這一波世紀挑戰中,我們希望掌握在地的文化特色,展現包容度與創造力,推動東西方的交流,創造亞太地區的創意平台。期待未來,在地球上的每個角落,都能運用「創意」思考生活、用美學素養來豐富生活品質,共同建構美好與和平的創意世紀。[5]
「文化創意產業」是一個時代產物,經由提昇文化、結合創意、推行產業概念所產出的文化經濟價值,除了可以提昇生活品質、強化生活美學的涵養,亦有助於打響台灣在國際的知名度。「文化創意產業」釋放一個契機,它作為傳統與現代文化的接榫外,更是文化、教育與經濟各個領域攜手合作共創未來的重要點子。
近年來,「文化創意產業」被強調出來。賴聲川說,「文化創意產業」變成很流行的行業,但事實上我們必須看清楚:「創意產業」必須依賴「創意」才能成立;「創意」又必須依賴「文化」才能茁壯。[6]
二、何謂「文化」:文化的領域寬廣,世界文化可以從各種主義、各種潮流來審思,而在地的文化往往就是生活的表現。也許從我們的週遭就可以察識到自我們祖先以至於今日所發生的文物、禮儀、習俗、生活方式、民間藝術、俚語等等。
化是集眾人的智慧與經驗經過長期累積而有的物質與精神的成果的總和。文化為所有身處其中的人們所共享,文化並沒有特定的形象或規格,它不僅是過去歷史裡的產物,更擁有開放而未定型的可變性因素與條件。換句話說,文化不只是歷史的,也是建構的。
文化的建構一方面難以免其傳承的質性,一方面則可能包融有異文化的滲透。不論文化的形成是保守而穩健的型態,還是多元溶合的價值,將文化妥善保存與發展是兩個不同的照顧面,但隸屬於一件事。換言之,就是既要「繼往」還要「開來」。吾人除了留意莫要輕忽這樣的重責大任之外,對於「文化」的今日開展還需注意什麼?
科技與經濟的發展以及人們對於生活的便利性需索,已經形成一種科技的全球化事實,科技化原本有其不可抵擋的力量,卻也衝擊到文化的原有面貌。各方人士為了避免失卻自身文化的特色,正努力於思索文化的未來發展。
與大眾息息相關的文化指的是生活方式與價值觀,而生活當中又包含各種族群差異、性別差異、階級差異所帶來的文化差異。科技進步加上各種傳遞訊息的管道大開,文化交流的頻率與文化的豐富程度已經是難以估算數值了。
如何將自身文化加以保存並發揚到社會的各個角落?針對這樣的問題,「文化創意產業」應聲而出。賴聲川曾說,在創意產業中,沒有比「原始創意產品」更重要的東西。創意無價,創意本身就能創造出巨大的經濟價值。[7]文化產品,且需是包含「創意」的文化產品,才是產業所不可輕忽的重要內涵。
三、何謂「創意」:什麼叫做創意?創意是外在的什麼東西嗎?是等待人們去攝取、捕獲的外在對象嗎?或著相反於此,創意實際上並不是材料性的東西,也不是知覺把握的對象?創意雖然需要從外在的物件來認定其是否呈現,但是卻不能因此而認為創意是物件的本質。不可否認的,物件的本來樣貌乃是「材料」,它變成「成品」的過程裡才是我們探知「創意」的重要關鍵。是一種設計或設想才讓「材料」有所改造或變化,也因為有了「變化」才有「創意」的出現。創意作品的特徵如何?創意嚴格說來是不可界定的,所以由創意而完成的作品無法給出標準也是預期中的事。如果我們可以對創意作品作最少的界說,那就是如賴聲川所說的:
「不可測量的元素」指的是創意的神秘泉源,……最後的成品,又成為一種有機、完整、「不可測量」的東西。如果最後觀眾很容易就可以「測量」作品,這就不是一個很好的作品。[8]
而接著我們就不難發現,原來不能離開物件而發現的「創意」是人們在物件從材料變成成品的過程中,由人的巧思所賦予的。如果「創意」的出現乃是由人而不由物出的觀點,我們所要探問的有關「創意」的本源問題就轉向「人」的能力或觀點上了。但是如果因此而認為探尋「創意的本源」就是一種人的「內在秉性」的追問,則又可能陷於一種「后現代的」、無標準的紛擾不確定。「只要我喜歡有什麼不可以」是一種任憑個人感覺與喜好的解構狀態,或著說那其實是一種「失序」或「迷失」。針對這樣一個疑惑,自然有必要更向本源處探索,而已經被尋獲的一個觀點則是:
我們每一個人內心深處似乎都具有一個個人創意泉源。同時,存在一種更廣大、超越個人、屬於全人類的共同泉源,裡面儲存著各種原始、深奧的集體智慧。這個龐大泉源或許在我們體內,或許我們有管道可以通到它。[9]
「人類的共同泉源」指的是什麼?首先我們自然需要先從自身容易把握的,具有內心深處涵義的「創意」來思索。有些人認為創意是一種能力,但卻不可教導。經過教導而學習的能力是一種傳承,或是一種模仿;另外一種見解則認為創意是一種「揭露」。賴聲川曾經這麼說過:
「創意的原始能量不是被培養出來的一個特質,而是等待被發覺的本能,等待被揭露的能量。」[10]
若創意是「等待被揭露的能量」而不是「被培養」的,那麼也就是同意「存在一種更廣大、超越個人、屬於全人類的共同泉源」的觀點。而這個創意的泉源並沒有國界之分,也不隸屬於任何一個文化體系。這是我們談論「文化創意作品」時所必須先釐清的地方。「創意」的涵義既有了這個無國界之分的界定,當它結合於不同民族、不同區域「文化」時,就能發揮其既是「本土化」的、也是「全球性」的義蘊。
四、探索創意的本源:「創意的本源」是一種與「個人內在」相通但又「超越個人」的共同泉源?如何論證這個觀點?既然文化創意產業的內涵不外乎人文與經濟的結合,那麼筆者在這裡選擇從中西方觀點對於「文化藝術」的創意詮釋,論證「創意的本源」乃超越個人的「全人類的共同泉源」。
首先以中國文化藝術為例說明。純綷的文學或藝術之意識,在中國社會的出現,是有其特殊的環境背景。與藝術相關的理論依據,主要不是道德儒教的理論,而是老莊的思想。依據徐復觀之見解,魏晉以來的藝術有一部分乃是經過莊學思想而發展的。他說:「正始名士,在思想上係以《老子》為主而傳以《易》義;這是思辨地玄學;乃由繁瑣地經學的反動而來。……在這種性情中,都含有藝術的性格。……到了元康名士(即中朝名士),則性情地玄學已經在門第的小天地中浮薄化了,演變而成為生活情調地玄學。這種玄學,只極力在語言儀態上求其合於「玄」的意味,實即求其合於藝術形態的意味,於是玄學完全成為生活藝術化的活動了。」[11]
「靜而聖,動而王,無為也而尊,樸素而天下莫能與之爭美。」[12]
「昔者舜問於堯曰:天王之用心何如,堯曰,吾不敖無告,不廢窮民,苦死者,嘉孺子而哀婦人,此吾所以用心已。舜曰,美則美矣,而未大也。堯曰,然則何如,舜曰,天德而出寧,日月照而四時行。若晝夜之有經,雲行而雨施矣。堯曰,膠膠擾擾乎。子,天之合也;我,人之合也。夫天地者,古之所大也,而黃帝堯舜之所共美也。」[13]
在莊子順應自然的思想裡,樸素與自然,在天地之間即為美,並非對人為之作品而稱的。莊子強調「聖人」不事不為,體天道之自然,觀天地之運行,而能晉此「大美」之妙境。就聖人言,則含有美感經驗在內,就整體意境之生發展現言,則屬於藝術之境界。只是此藝術境界中之大作,非人之造作,乃天地之自然。從上述兩段引文看來,可以推證莊子理想中的「美」乃源於自然、天地,是人類共同可以體驗之美,而聖人先得於我心罷了。
中國古代文人對於藝術的追求呈現的是一種對於「藝術精神」的講究,亦即是一種從「主體」而通達於「天地」的「美」地觀照。這樣的見解實際上可以類比於前文所論述的「創意」出自一個超越個人而屬於全人類共同的本源。
本海德格於其<<藝術作品的夲源>>一著作中,一方面汲汲于要克服西方傳統藝術理論中那種囿于「質料-形式」之區分的立場;另一方面則力圖緊扣「存有之真理」(a-letheia)來重新闡明「藝術之夲質」。而依海德格、存有之真理是一同時「開敞」(unconcealment/ Unverborgenheit) 和「遮蔽」(concealment/ Verbergung)之双重運動。換言之,「藝術就是一真理之生成和發生。」[14]
上引東西方的學者對於「藝術」的超出「美」而聯結於「真理」的見解,幫助了吾人洞悉藝術或創意的本源是人類共通的超越區域性的「天地之大美」、「存有之開敞」。兩方觀點的共通處還可以從「虛、實」與「敞、蔽」的關聯處互相照映。原因在於強調「虛實相涵」的中國藝術精神,不但於結構上與海德格義之「真理」相通,而且在美感经驗之層次上可為海德格之緊扣「真理」之「開敞」和「遮蔽」的双重運動以論藝術作品之夲質的進路提供具體的明證。[15]
海德格用「真理」來說明藝術創作的本質,這種觀點並不是他作為一個哲學家所獨特的見解。類似於此見解的大有人在,只是它們各自採用不同的方式在努力傳達這樣的真理或藝術。賴聲川如是說:
在文學和藝術的創作中,誰執著於原創性就不可能作出具原創性的作品。反過來說,只要你單純地努力說出真理(一點都不在乎被說過多少次),你十次之中會有九次具原創性而不自知。[16]
這種用「真理」來通達於藝術的創意本源的觀點,似乎還需要更多的說解,可是如果繼續於文字的說明,恐怕是離開原意只會更遠、令人更難理解了。故舉實例作說明如后。
五、「文化創意作品」的「創意」表現:以陳世憲畫作為例陳世憲 先生的作品主要以意象書法作為核心,表現為繪畫的型態。他的作品主要以地方本土文化與地理環境為題材,結合書法文化、繪畫藝術、和生活經驗。 陳世憲 先生(1967-)畢業於東海大學 中文學系,虔心於書法寫作。畢業之後以文化工作的發揚為志業,並未投身於一般的求職工作。他在台南縣白河鎮設立一「忘齋」工作室,平時除了揮灑筆墨、思索生命意義外,對於白河鎮的地方文化與觀光前景亦多所關心。 陳世憲 先生是一位既能將固有的文化、藝術加以現代化,將生活深化成對生命的體認後戮力以文化創意為志業者。他還是一位能思索文化與經濟如何相結合而相得益彰的文化創意產品的工作者。換言之,他對於地方的關懷與他在書法藝術方面的創意,早已經讓他的文化工作呈現了創意產業的雛型。
陳世憲先生的作品結合了地理景緻,以及對週遭人物的關懷進行作品創作。他從生活中擷取素材並經由深度思索與生命體驗而繪製的作品,是一種涵具高妙哲理的創作藝術。尤其特別的是,陳世憲的作品並不像西方之藝術作品強調外在欣賞的美感效益。觀賞者經由其作品的表現,從中能得出豐富的意義,因此作品觀後所獲得的不僅是「美」的經驗,更是「真」的理解。陳先生除了書法藝術作品與相關文化之創意產品外,他還發揮他在書法藝術方面的造詣,出版了三本凸顯土地情感、地方特色,以及融合他的生活經驗的文化出版品:《非草草了事--陳世憲書法新意象》、《荷年荷月--陳世憲蓮花新意象》、《愛情書》。
在此試就幾幅陳世憲先生應邀於樹德科技大學產出的作品加以賞析,筆著觀看其作品後曾經探問:作品何以有「道」的氣魄?作品裡是否有「存在哲學」的氛圍?後文有關陳世憲先生之作,除了於圖表下標示作品原有的解說外,「筆者按」的部分乃是本文作者對於作品的詮釋或說明。
[1] 參見文建會網頁http://web.cca.gov.tw/creative/page/main_02.htm。
[2] 參見文建會網頁http://web.cca.gov.tw/creative/page/main_02.htm
[3] 同前註。
[4] 同前註。
[5]參見文建會網頁http://web.cca.gov.tw/creative/page/page_01.htm
[6]賴聲川(2006):《賴聲川的創意學》。台北市:天下雜誌,頁342。
[7] 賴聲川(2006):《賴聲川的創意學》。台北市:天下雜誌,頁344。
[8] 同前註,頁97。
[9] 同前註,頁104。
[10] 同前註,頁107。
[11] 徐復觀(1992):《中國藝術精神》。台北市:學生書局,頁151-2。
[12] 《莊子.天道》
[13] 《莊子.天道》
[14]陳榮灼(2004):〈唐君毅「中國藝術精神論」之現象涵義〉,《中國現象學與哲學評論‧第六輯》。上海市:譯文出版社,頁32、34。
[15]陳榮灼(2004):〈唐君毅「中國藝術精神論」之現象涵義〉,《中國現象學與哲學評論‧第六輯》。上海市:譯文出版社,頁35。
[16]賴聲川(2006):《賴聲川的創意學》。台北市:天下雜誌,頁335。
離開故鄉那一暝,寬茫茫的海水,
被月亮照到,親像無回頭路同款啊! (記許昭榮先生)
筆者按:夜晚的大海上月光飄動,直到瞥見那閃爍著亮光的空白,筆者才恍然於「虛實相涵」的精義。
黑夜中的森林,寂靜的聽到各種聲音,
是內心無法言語的表達
筆者按:看到這裡是森林小徑的話,你難免自覺孤單、渺小還有一絲畏懼心情,但是有人並不是找到小徑,而是擁有一片森林。如果你能在此圖畫中出入自如那你的世界會有多寬廣呢!你又會收穫到什麼呢!
有有有 咁真正有
筆者按:對「有」的看重,仍需承受無所逃於「有」的變化。終極變化後「有」還是「有」嗎?「有」與「真正有」有沒有差別?畫中表現出「虛、實」的變化圖五:無無無 咁真正無
筆者按:「無」從「有」的對立面來思考嗎?那麼「無」是什麼?「無」與「真正無」有沒有差別?「虛」說的「無」和「實」說的「有」關係如何?
筆者按:走出黑色的鬱鬱蒼蒼的森林後,「無」和「有」的關係隨著人而有另一番意境否?
英挺之荷
筆者按:鄉土特色、現代繪畫與傳統書法相結合。有「力」的表現,也有「動」、「靜」相倚的特色。
老鷹與蛇
筆者按:兩強相對?展現招式武功?觀鳥獸之文通物類之情?
飛行
筆者按:是「飛行」的字跡,也是飛舞的軌跡,有螢火蟲拍翅的聲響,也有移情後的自由寬廣。
雲亂飛
筆者按:是雲的結構!也是「時間」的結構?書畫家所把握的「時間」與哲學家論說的「時間」有什麼同異?
融入創意的文化產業作品--夜燈
產品介紹:1.用兩個喜字形成一個婚禮祝福的構面,裡面含藏著「乾坤合轉」的道賀。四個構面字型有別的「囍」表達對形形色色不同型態的新人們深深的祝福。
2.白河的蓮花變化成夜燈,燈亮了宛如蓮花開了。這是從白河土地產生的文化產品。
3.「無無無 咁真正無」變成了四方型燈飾,從各面向提醒著人們對解脫於「有」,可以入於清靜之「無」。
融入創意的文化產業作品--午覺枕、夜燈
產品介紹:1.吉貝耍部落的木棉花午覺枕。(吉貝耍其意為「滿是木棉花的部落」)
2.追浪者夜燈。大海上的追浪者,船槳忙於海中翻騰,夜晚燈亮正是飛魚豐沛收穫之時。
融入創意的文化產業作品--各式生活產品
產品介紹:天然香皂(有台灣造型與書法字體的香皂),用書法繪製的撲克牌、筆枕、書鎮、文人墨客小茶杯、蓮花蓋碗。
六、結語:文化結合生活,生活創造新的文化內涵,這似乎是不言而喻的事實,但是因著科技的發展,生活裡充斥著的經常是新進才竄出的材質與便利性產品,人們生活在新穎的、充滿感官刺激的環境裡,早已經遺忘前人苦心創造的優質文化與藝術作品。與傳統文化的疏離,與科技產品的聯結是現代人的生活寫照。這種充斥著科技的產品的生活內涵所產生的人類,會有什麼特徵?充滿物質性的享受但缺乏精神層面的撫慰?我們的社會將會充滿穿著美麗華服但內心空虛的軀殼?如果經濟是現階段不可忽視的課題,那麼在高經濟效益的呼籲下我們如何兼顧人們的心靈養護?我們又如何傳承文化的理想成分?文化創意產業產業的出現不是憑空臆想,乃是今日高科技發展以及高經濟效益講究下的一種省思。目前已經受到有識之士的重視,各種與文化結合的產業也日漸展露,但是這當中猶須各項人力的結合、各種專業的結合。文化創意產業的興起,從時間上論則是處在一個「覺醒」但尚待開發的時段。可以有很多的想法、很多的嘗試,當然也需要很多的鼓勵,文化的延續是不停頓的,但是文化的品質卻是需要苦心經營的。
筆者相信一個具有創意內蘊的作品能讓人從「見山是山,見水是水」進入「見山不是山,見水不是水」的意境,又能在出神入定之際返轉於「見山又是山,見水又是水」的境界,這種感受出現於觀賞作品之後,這要如何解說其奧妙呢?這和海德格緊扣「存有之真理」來闡明「藝術之夲質」,而強調存有之真理是一同時「開敞」和「遮蔽」之双重運動實有相同的理趣。
由於經過生活經驗的揉合,以及有關生命的深度思索,所有豐富的內涵就在陳世憲老師結合書法媒材與現代藝術思潮的創意整合。作為一個觀賞者,面對著充滿創意與生命力的藝術作品,我才真正體會到,一種屬於詮釋角度的「理解」對藝術作品以及對詮釋者自身的意義。
雲林科技大學文化資產修護學系 李謁政所長-體享地方美學:恢復台灣本土世界的真實感受
HTTP://WWW.NCAFROC.ORG.TW/UPLOAD/在地美學實踐社區VS.藝術研討會論文集
在地美學實踐社區VS.藝術研討會論文集
P62. 人間藝能
居住在地方的人群,就其生活、信仰和想像,在其真實本能上具有直觀、審美和創造的能力,是「人間藝能」可以為生活世界創造物件、圖像、表演的能力。對地方世界的成形,人間藝能充分表達了地方美學的內涵。尤其以手工藝製品,最能表現、土地地景由居住者的身體參與,開闢出地景景象,手工藝製品是由手的勞動到創作,可以這樣理解手工藝,只有工藝之存在我們才能生活。從早到晚,或工作或休息,我們身著衣物而感到溫暖,依靠成套的器物來安排飲食,備置家具、器皿來豐富生活。生活之廣闊使工藝的種類有所增加,即使如此,也不能最忠實地反映生活。因此,如果工藝是貧弱的,生活也將隨之空虛。(柳宗悅,2006,6)。地方美學以手工藝的創造,豐富地方生活的方式,使得地方得以識別出其獨特性。白河陶坊林文嶽,以關子嶺的泥士和白河蓮藕燒灰相混合,成為"白河燒",深具地方意涵,更涵蘊地方美感於創作之中。
對地方的鑑賞、記錄到書寫,也成就了地方美學的內涵,鑑賞、記錄與書寫是另一種人間藝能,以較為特殊的方式,特意凝視地方,白河陳世憲的書法,正代表了對地方書寫的一種美學藝能,荷花的身影,到地方白河的水韻墨線,白河地方美學深厚許多。透過圖象、繪圖描寫、攝影、敘述說故事、表演戲劇的方式,均可拓廣地方美學,創造的形式是沒有限制的,一切以藝能的激發和表現為依歸,方可讓地方美學是有生命凝視與身體參與,手藝勞動的濃厚成形。
在地美學實踐社區VS.藝術研討會論文集
P62. 人間藝能
居住在地方的人群,就其生活、信仰和想像,在其真實本能上具有直觀、審美和創造的能力,是「人間藝能」可以為生活世界創造物件、圖像、表演的能力。對地方世界的成形,人間藝能充分表達了地方美學的內涵。尤其以手工藝製品,最能表現、土地地景由居住者的身體參與,開闢出地景景象,手工藝製品是由手的勞動到創作,可以這樣理解手工藝,只有工藝之存在我們才能生活。從早到晚,或工作或休息,我們身著衣物而感到溫暖,依靠成套的器物來安排飲食,備置家具、器皿來豐富生活。生活之廣闊使工藝的種類有所增加,即使如此,也不能最忠實地反映生活。因此,如果工藝是貧弱的,生活也將隨之空虛。(柳宗悅,2006,6)。地方美學以手工藝的創造,豐富地方生活的方式,使得地方得以識別出其獨特性。白河陶坊林文嶽,以關子嶺的泥士和白河蓮藕燒灰相混合,成為"白河燒",深具地方意涵,更涵蘊地方美感於創作之中。
對地方的鑑賞、記錄到書寫,也成就了地方美學的內涵,鑑賞、記錄與書寫是另一種人間藝能,以較為特殊的方式,特意凝視地方,白河陳世憲的書法,正代表了對地方書寫的一種美學藝能,荷花的身影,到地方白河的水韻墨線,白河地方美學深厚許多。透過圖象、繪圖描寫、攝影、敘述說故事、表演戲劇的方式,均可拓廣地方美學,創造的形式是沒有限制的,一切以藝能的激發和表現為依歸,方可讓地方美學是有生命凝視與身體參與,手藝勞動的濃厚成形。
台灣當代美術通鑒
1975-2014年.P599。
例如李思賢策劃的「書·適----書寫情境的生活現場」,將台博館南門園區小白宮佈置成恬靜優雅的人文書寫空間,透過書寫和閱讀與觀者產生共鳴,展場最醒目處,是來自白河在地書法家陳世憲現場表演所留下來的「生活都在節奏之中」巨幅書作,前方擺置的是以篆體字為結構所手工打造的「真、幽、閑」書法傢俱。進入展間自然感受空間中悠然舒適的人文情境,在閒緩的空間氛圍中,觀眾可以自在的閱讀,提筆寫字......(范峻銘)
例如李思賢策劃的「書·適----書寫情境的生活現場」,將台博館南門園區小白宮佈置成恬靜優雅的人文書寫空間,透過書寫和閱讀與觀者產生共鳴,展場最醒目處,是來自白河在地書法家陳世憲現場表演所留下來的「生活都在節奏之中」巨幅書作,前方擺置的是以篆體字為結構所手工打造的「真、幽、閑」書法傢俱。進入展間自然感受空間中悠然舒適的人文情境,在閒緩的空間氛圍中,觀眾可以自在的閱讀,提筆寫字......(范峻銘)
擷取自羅炯烜臉書 07/20
學弟陳世憲來台北上節目,找了啟楷、志銘和二位華視的好漢王健芝、林慶維到「阿才的店」酒肉一番。
世憲是書法家,少數能靠寫字維生的稀有動物,這一點很讓我肅然起敬。小時候,我也曾跟一位德高望重的退休校長學書法,辛苦卓絕練了半年,老校長告訴我老媽:「貴子弟的字很…特別,我想…他或許該嘗試別的才藝。」
於是,我棄書從樂改學鋼琴,才上一堂課,又不甘被老師用戒尺敲指頭,立馬逃學。又改習畫,這一畫畫了七年,直到國二,在壁報上把老師畫成一個豬頭,被記二大過留校查看,終於結束我多才多藝的才子生涯。所以,我對藝術家總是很肅然起敬的。
世憲送我一個他手書「嘉義人」三字的書包,很有土親人親與藝術才情的感動。從今天起,咱就揹著書包上班去!
世憲是書法家,少數能靠寫字維生的稀有動物,這一點很讓我肅然起敬。小時候,我也曾跟一位德高望重的退休校長學書法,辛苦卓絕練了半年,老校長告訴我老媽:「貴子弟的字很…特別,我想…他或許該嘗試別的才藝。」
於是,我棄書從樂改學鋼琴,才上一堂課,又不甘被老師用戒尺敲指頭,立馬逃學。又改習畫,這一畫畫了七年,直到國二,在壁報上把老師畫成一個豬頭,被記二大過留校查看,終於結束我多才多藝的才子生涯。所以,我對藝術家總是很肅然起敬的。
世憲送我一個他手書「嘉義人」三字的書包,很有土親人親與藝術才情的感動。從今天起,咱就揹著書包上班去!
台南大學 語文教育學系簡月娟教授 發表論文「書法區域文化景觀芻議—以台南白河為例
蔡明讚
鄭惠美【生書法和熟書法】
陳芳惠{里昂第三大學教授}在中央研究院社會研究所 發表的論文 由 蕭新煌教授與評。
李國盛 光華雜誌
莊金國
陳芳惠 談 星淚花 {詹冰}
陳世憲根據詹冰的«墓誌銘»一詩寫成的作品:«星淚花»。意象(圖畫)融入了書法,陳世憲詮釋了詩人對自身的省思與對世界的擁抱,令人想起康德(IMMANUEL KANT)的友人在其墓碑上刻下的墓誌銘:"在我上面有多星的天空,在我內心有道德的法則"。
Chen shih-hsien reprend les trois caractères 星, 淚, 花 qui sont les caractères indéfiniment répétés du poème « épitaphe » (墓誌銘muzhiming), du poète taiwanais chan ping 詹冰, pour décrire l’univers et le destin du poète. Ces caractères sont transformés par le calligraphe en trois images. L’=effet est surprenant, car c’est alors l’image qui parle : 星, l’étoile, est située en haut, dans le ciel, tandis que 花, la fleur, est peinte en forme de fleur, en même temps que淚, la larme, est écrite en forme d’une personne étirée, haute, qui s’en va, en pleurant. Le 大 da qui est compris dans le caractère淚 est à l’origine, dans le pictogramme, une illustration d’un homme sur ses deux pieds écartés : chen shih-hsien va donc les étirer pour symboliser la marche, la fuite. Est-ce de la calligraphie, ou de la peinture ? On a l’impression de voir un homme marcher à grands pas en versant des larmes abondantes dans le monde, reflet de son univers intérieur, incarnés ici par une fleur et une étoile. Si jean-françois billeter peut interpréter les dessins d’henry matisse comme une « écriture plastique », peut-on considérer la calligraphie de chen shih-hsien comme un « dessin au trait », expression employée par matisse lui-même ? Car chen shih-hsien explore la limite entre calligraphie et peinture : il trace un caractère en même temps qu’il dessine un objet.
蔡明讚
鄭惠美【生書法和熟書法】
陳芳惠{里昂第三大學教授}在中央研究院社會研究所 發表的論文 由 蕭新煌教授與評。
李國盛 光華雜誌
莊金國
陳芳惠 談 星淚花 {詹冰}
陳世憲根據詹冰的«墓誌銘»一詩寫成的作品:«星淚花»。意象(圖畫)融入了書法,陳世憲詮釋了詩人對自身的省思與對世界的擁抱,令人想起康德(IMMANUEL KANT)的友人在其墓碑上刻下的墓誌銘:"在我上面有多星的天空,在我內心有道德的法則"。
Chen shih-hsien reprend les trois caractères 星, 淚, 花 qui sont les caractères indéfiniment répétés du poème « épitaphe » (墓誌銘muzhiming), du poète taiwanais chan ping 詹冰, pour décrire l’univers et le destin du poète. Ces caractères sont transformés par le calligraphe en trois images. L’=effet est surprenant, car c’est alors l’image qui parle : 星, l’étoile, est située en haut, dans le ciel, tandis que 花, la fleur, est peinte en forme de fleur, en même temps que淚, la larme, est écrite en forme d’une personne étirée, haute, qui s’en va, en pleurant. Le 大 da qui est compris dans le caractère淚 est à l’origine, dans le pictogramme, une illustration d’un homme sur ses deux pieds écartés : chen shih-hsien va donc les étirer pour symboliser la marche, la fuite. Est-ce de la calligraphie, ou de la peinture ? On a l’impression de voir un homme marcher à grands pas en versant des larmes abondantes dans le monde, reflet de son univers intérieur, incarnés ici par une fleur et une étoile. Si jean-françois billeter peut interpréter les dessins d’henry matisse comme une « écriture plastique », peut-on considérer la calligraphie de chen shih-hsien comme un « dessin au trait », expression employée par matisse lui-même ? Car chen shih-hsien explore la limite entre calligraphie et peinture : il trace un caractère en même temps qu’il dessine un objet.
.詩人渡也老師說
世憲:
自從發現你的年齡後,我不能再稱你為兄了,因為這樣是
傷天害理的。我們相差十五歲啊。
我有在臉書上談到你的一幅畫,即宣紙上以毛筆沾墨汁橫書
數筆,看來也像書法,題為「高一生的遺書」。看來又像一首
詩。
這一幅,能否以電郵寄給我?我上課談「言外之意」或「言不
盡意」時可用。謝謝!
渡也敬上
世憲兄:
寄來的大作已收到。
這張書法〈或繪畫〉不錯!
在後現代的理論中,學科與學科之間是沒有界限的,哲學和
文學沒有界限〈也就是二者不分〉,書法和繪畫是沒有界
限,歌星與聽眾是沒有界限〈也就是聽眾也可以上台唱歌
,聽眾也可以成歌星〉,如此如此。
你的書法就是有後現代現象,加上你以展演的方式寫字,這
也有後現代現象。外國對你這種藝術會比國人還讚賞、肯定
,這可能是外國比我們更能接受或適應後現代!
謝謝你的畫!
渡也敬上
世憲:
自從發現你的年齡後,我不能再稱你為兄了,因為這樣是
傷天害理的。我們相差十五歲啊。
我有在臉書上談到你的一幅畫,即宣紙上以毛筆沾墨汁橫書
數筆,看來也像書法,題為「高一生的遺書」。看來又像一首
詩。
這一幅,能否以電郵寄給我?我上課談「言外之意」或「言不
盡意」時可用。謝謝!
渡也敬上
世憲兄:
寄來的大作已收到。
這張書法〈或繪畫〉不錯!
在後現代的理論中,學科與學科之間是沒有界限的,哲學和
文學沒有界限〈也就是二者不分〉,書法和繪畫是沒有界
限,歌星與聽眾是沒有界限〈也就是聽眾也可以上台唱歌
,聽眾也可以成歌星〉,如此如此。
你的書法就是有後現代現象,加上你以展演的方式寫字,這
也有後現代現象。外國對你這種藝術會比國人還讚賞、肯定
,這可能是外國比我們更能接受或適應後現代!
謝謝你的畫!
渡也敬上
,則是可以利用還在學的時段,去幾個有意思的地方親近,就會知道自己適不適合。 工作時間或許會很長,但是,因為喜歡,所以不會累。 或許很慢才會有成績,可是,至做一事 做一世 (陳世憲應大學老師許建崑邀寫 期勉學弟妹)2018.1.
世界上有很多有趣的事,一輩子只要選擇一件事就好。
選擇一件最有趣,最有意思的事做完足就夠了,如果能成為職業最好。不用擔心會餓死,現在這個時代沒有人會飢餓,只是吃穿的比較平常而已。
至於如何選擇,則是可以利用還在學的時段,去幾個有意思的地方親近,就會知道自己適不適合。
工作時間或許會很長,但是,因為喜歡,所以不會累。
或許很慢才會有成績,可是,至少是自己喜歡的。
總結這些過程,如果都沒有人或是很少人支持,或許就會稱之為”叛逆”,那也不要緊。至少一生沒有悔恨。少是自己喜歡的。 總結這些過程,如果都沒有人或是很少人支持,或許就會稱之為”叛逆”,那也不要緊。至少一生沒有悔恨。就會知道自己適不適合。 工作時間或許會很長,但是,因為喜歡,所以不會累。 或許很慢才會有成績,可是,至少
世界上有很多有趣的事,一輩子只要選擇一件事就好。
選擇一件最有趣,最有意思的事做完足就夠了,如果能成為職業最好。不用擔心會餓死,現在這個時代沒有人會飢餓,只是吃穿的比較平常而已。
至於如何選擇,則是可以利用還在學的時段,去幾個有意思的地方親近,就會知道自己適不適合。
工作時間或許會很長,但是,因為喜歡,所以不會累。
或許很慢才會有成績,可是,至少是自己喜歡的。
總結這些過程,如果都沒有人或是很少人支持,或許就會稱之為”叛逆”,那也不要緊。至少一生沒有悔恨。少是自己喜歡的。 總結這些過程,如果都沒有人或是很少人支持,或許就會稱之為”叛逆”,那也不要緊。至少一生沒有悔恨。就會知道自己適不適合。 工作時間或許會很長,但是,因為喜歡,所以不會累。 或許很慢才會有成績,可是,至少